新兵衛の覚え書き

見た聞いた読んだ浮かんだ思い出した……を書き留めています。

サル痘は日本で流行る?

ヨーロッパで流行っているというサル痘ですが、現在までの発生件数は400〜500件の間ぐらいでしょうか。この数字は、今年にはいってのものなのかしら?
アフリカから拡がったもののようですが、ヨーロッパで300件を超えているそうですので、流行はヨーロッパ中心という事になります。

天然痘が世界を股に掛けて盛んだった頃は、今より遥かに人々の移動範囲は限られていました。移動するにも時間がかかりますし。
現代は、人々の移動は広範で大量に簡単になっていますから、サル痘を貰った人が日本に入るのは避けられないでしょう。
ただし、感染力はコロナやインフルエンザより遥かに弱いです。
ハッキリした体液(クシャミなどによるもの)を浴びるとか、性行為でないと感染する事はあまりないそうです。
したがって、パンデミックの可能性はあまり高くないらしいです。

発症すると(瘡蓋ができるレベル?)、数%〜1割程度の死亡率だそうです……恐いですね。
古代の日本では、天然痘だろう流行により、人々の半数が亡くなったなんて記録があり、時の天皇が自分の不徳のいたすところであると、大変悲しまれたとかあったそうですから、医学が発達した現代でも恐いです。
ただし、天然痘とサル痘は全く同じものではないとはいえ、ワクチン接種した世代は心配ないそうです。
WHOによる天然痘撲滅宣言(1980年)以降に生まれた40代後半以下の人は、ワクチン接種してませんからあまり楽観しない方が良いかも。

ロシアのプロパガンダが効いている?

ロシアが、国内向けに流している報道内容が、南アジア、アフリカ、中南米、更にはベトナムでも真実として受け入れられているらしいとか。
という事は、西側諸国の報道内容の方をフェイクニュースだと思っている事になります。
勿論、各国の政府レベルでは実際どうなっているかは分かっているでしょう。
しかし、国際社会を生き抜いて行く為には、どういう立場をとりながら切り抜けて行くかという事になると話は別です。
大前提である「軍事進行はダメ」に対する直接的な発言を避けながら、ロシア制裁に反対したりします。
ロシア軍による虐殺行為も、ハッキリ確認出来る情報を得ていない現在はどうこう言えない……的に発言を避けます。
まあ、殺害された人々がいるのは間違いないですから、流石に「ロシア軍がやった事ではない」とは、政府レベルでは言えないでしょう。
ロシア軍が殺害していないなら、ウクライナ軍がやった事になりますから、流石に断言出来ないでしょうね。

しかし、民衆レベルになると話はちがいます。
ロシアの国内向けプロパガンダを、自国語に訳して盛んに流す報道機関や個人もいるそうです。
ロシア大使館も、その国の言語でセッセと発信しているそうです。
在日本ロシア大使館のツイートもそうですから、他の国々でもそうだろう事は想像に難くありません。

日本の場合は、元々ロシアは敵みたいに思っている人は結構いますから(あくまで国レベルであり、個人に対してはそんな思いは薄い様です)、ロシア大使館のツイートやロシア擁護側の発言には、批判がガンガン飛びますので、ロシアのプロパガンダが大衆に受け入れられる事は無いと思います。
しかし、他の国々では事情が違います。
南アジア、アフリカ、中南米……欧米に長い間悲惨な目にあわされた歴史を持つ国々です。
中南米は、アメリカにいたぶられていた国々。
「あいつら碌なもんじゃない」との思いが、心の底に刻まれているとか。
なので、ロシアのプロパガンダの方へ流れてしまうのも不思議ではありません。

日本では、学校では教えられなくても語り継がれた人が沢山います。ロシア(旧ソ連)軍に何をされたかを語り継がれ受け継いでいる人が沢山います。
今までは話す機会が無かった人も、今回のロシアの行いを機会に、満州樺太で行われた事を子供や孫に話す人も多いでしょう。
自分の親の経験を孫にとか、自分のお爺ちゃんお婆ちゃんの経験を子供にとか、全国で聞かされている子供達が沢山出ていると思います。
「ロシアの軍隊は恐ろしい」と思ってしまう子供も多いでしょうね。実際酷い連中が居るのは確か。
ただし、「20分後に○○部隊が回って来るから……」と教え回っている若い兵隊達が居た、との親ロシアではないウクライナ住民の証言もありますから、第二次世界大戦時のドイツへの進軍途中にやらかしまくった時よりは、マトモな兵隊はある程度居る様です。

さて、アフリカとか南アジアとかロシア制裁に反対する国の大衆。
ロシアから日本人の様な目にあわされていない国々の大衆は、欧米には酷い事をされた歴史がある事から、欧米に支援されているウクライナの方が酷い事をやってるに違いない、と思わされても仕方ありません。
ロシア発のプロパガンダが効いている国々が何故あるのか。
欧米がやらかして来たからこそ、プロパガンダが効いている国々が存在するのでしょう。

アヘン戦争とイギリスのムカツキ

たぶんですけど、アヘン戦争を仕掛けるまでのイギリスは、「清は世界の中心」「天から世界を預かる清皇帝は中心の中心」として見下して来る清に、「東洋のサルめが!」とムカツイていたと思います。
7つの海を支配中のイギリスですから、「いつか殺してやる」みたいな思いだったでしょう。
商品を持ち込んでも、清からすれば貢物を持って来た朝貢国、としか見られていなかったそうですし、皇帝に行う床に額をつける挨拶の強要は大屈辱ものですから、「いつか殺してやる」的な気持ちになってもおかしくありません。

当時の清帝国、何でもあったのです。皇帝は、欲しい物は国内で手に入れられましたから、ワザワザ金を出してイギリスから買う物などありませんでした。
イギリスには、清皇帝の欲しがる様な物は無かった様ですし。一方イギリス国内では、水の悪さからビールを水の代用にしている有様だったので、殺菌効果が有ったのか茶が人々に広まっていく最中でした。
茶を買い付けた商人は、イギリスへ帰れば大儲け出来ますから、渋々屈辱礼をしていた事でしょう。イギリス式の礼で通した者もいたとも聞きますが、実際はどうだったんでしょうね。

当時の清は、鎖国に近い状態でしたから、イギリスは自由な貿易はできませんでした。茶は買えましたが、買うばかりで売れる物はなかったのです。
毛織物、綿織物、産業革命で良い物を安価で作れる様になったものの、清にはそういう物はいくらでも有ります。購買力の有る層は絹を着用しますから、売れる物が無い……支払いは銀で行うのでイギリス国内の銀がドンドン清に流れて行きました。
商人自体は、イギリスに帰って茶を売れば儲かります。しかし、清で買い付ける茶の支払いは銀でしなければならないので、銀は出て行くばかりでイギリスは銀不足になって行きました。
銀不足になればイギリスも困りますが、茶を買い付ける商人も銀を用意しづらくなるなるので困ります。
しかし、清へは売る物が無いイギリスでした。

色々研究書は出てるのでしょうが、私は見ていないので想像で言います。
ある時、清産のアヘンよりズッと質が良いインド産のアヘンを、清の役人か商人か誰かがイギリス人から御馳走になった事から、「このアヘンは売れるだろうから儲けられる」となり、禁止されているアヘンの売買を持ち掛けたのかも。「密売してくれ」と働き掛けたのかも。
イギリス人は、清内の賄賂の酷さを知っていて、「役人と商人が組んで密輸入する者は、あとをたたないだろう。これは美味い話だ」となったのかも。
美味い話には裏があるとは言いますが、それは大して気にする事もないほど清は腐っていたんでしょうね。
かくして、ドンドン密輸入量は増えて行きました。

清では、政治や行政があまりにも腐っていたため、取り締まっても全然効果が上がりませんでした。
インド産アヘンは、価格は清産と同じぐらいでも質が段違いだったそうで、それでなくともアヘンの吸入が一般化していた為更に吸入者が増え、質が良いので虜(中毒者)になる人が溢れ出しました。
亡国への道……であります。

やがて愛国の士、林則徐が取締りの役を仰せつかり、ビシバシやります。
イギリス船に積んであったアヘンを大量に没収し、見ている前でアヘンの処分行動も取りました。
密輸したイギリス人達を、処刑しようともした様です。ただし、堂々と処刑するのではなく、イギリス人が使っていた井戸に毒を入れて殺害する計画を立てたとか(実際のところは分かりませんが)。
感染症か何かで死んだ事にしようとしたのかなあ。
でも、イギリス人は殺される事なく清を脱出。たぶん、今後も美味しい思いをしたい役人がコッソリ計画をしらせたんでしょう。
これらがアヘン戦争の口実となりました。

元々、あまりにも尊大な態度にムカツイていた事や、チャイニーズ等を見下していたからこそ、こんな理由で戦争を仕掛ける事が出来たのでしょう。
尤も、清の軍隊は強力だとの見方もあったらしく、イギリスも清には慎重だったのだろう、と。
もし清が弱い事が分かっていれば、戦争などしなくてもアヘンの輸入を認めさせていたでしょう。

因みに、この戦争をするかしないかをイギリス議会が決めた時の戦争賛成者数は、反対者より3票多かっただけ、とか。
反対者には、「こんな恥ずかしい戦争には反対」と言う議員も居たとか。
まあ、清が弱いと知っていれば、「恥ずかしい戦争」などせずに、脅かしで輸入させる事ができたのではないか、と。

敗戦後の清は、列強の草刈り場となって行くのでした。
ついでに言っておくと、日本は強引に草刈り目的でシナに行った事は無い様です。

沖縄の基地は無くならないんだって

沖縄は、戦略的拠点となる位置に在るので、国家間の緊張があろうがあるまいが、基地は置かれるんだそうな。
大陸の国を抑える事も、周りの国への支援をするにしても、拠点になる位置にあるとの事。
逆の立場の国にとっても、沖縄は戦略的拠点になるので、沖縄に基地がなかったら自分の基地を置きたいでしょう。

米軍基地が無くなれば自衛隊が基地を置きますし、自衛隊の基地も無くなれば、大陸の国が基地を置きにやって来る、となるでしょう。
従いまして、誰が沖縄に基地を置くか、でしかないというわけ。
基地を置くのは沖縄への差別だ!と言ってみたところで、国際情勢はその上を行っちゃってますので、どうにもならないと思います。

基地が幾つも在る占領地を返還するって、あまり無いですよね。戦略的拠点を返還するって普通は無いでしょうに、米軍基地は残しながらも返還されたのは、日本側にタフな交渉のできる人が居たのだと考えます。
冷戦下を利用して、戦略的拠点の沖縄を返還させる事が出来たのだろう、と。
上記の様な視点から研究した書は出てるのでしょうが、全然聞こえて来ないのは、「沖縄を差別した!今でも差別がひどい!」の声がやたらデカいせいでしょう。
30年近くもアメリカの統治下にされてしまった負いを目感じているから、差別だなどと無理なこじつけ罵倒にも黙っているのですが、その影響で、視点を変えた論が聞こえて来ないのかな、と。

沖縄よりズッと人口の多い香港は、50年の約束なんぞなんのその。
住民を虐待して民主主義を消してしまったあの国は、沖縄を我が領土とうそぶいていますが、基地がなかったらマジでやって来ますよ。
来るワケないなら、尖閣にも来ないでしょうから、「基地が無ければ……」は最早スパイの発言と言って良いかもしれません。
勿論、単にお花畑の人が多いのでしょうが、先頭に立って活動する人やら知事やら議員やらは、スパイなんじゃないか、と思われてもおかしくありません。

沖縄は、誰かが必ず基地を置く重要な拠点。
台湾の領土だったとしても、中国の領土だったとしても、ロシアの領土だったとしても、基地は置かれる地だそうです。
地球上には、そういう地が幾つもあるんでしょうね。

クリミア半島奪還目指す

クリミア半島は、旧ソ連時代にロシアからウクライナに正式に割譲されていますから、歴史はどうあれウクライナの領土です。

2014年3月16日に住民投票して、翌日独立宣言し、宣言した更に翌日ロシアと合邦(ロシアへの併合です、これ)。
ハア?となりますよね、当然。ロシアの軍事介入下で行った事ですから、国際秩序から言っても「何やってんだ、バカ者!」となりますわなあ。

クリミア半島は、ロシア人が6割ぐらいを占めます。ウクライナ人が20数%で、クリミア・タタール人が1割ぐらいです。
言語は、ロシア語話者が7割以上を占めるとか。
だからって、パッパとこんな事やって良いワケないじゃないですか。
国家の領土を、1地域の住民の意向でパッパと違う国につけかえられるなら、国際秩序も何もあったもんじゃなくなります。

ウクライナの高官が、「クリミア半島奪還を目指す」と発言するのも当たり前と言っちゃ当たり前なんです。
西側からの大量の武器供与と、戦線を押し返し出してる事からの強気の発言でしょうが、クリミア半島は正式にはウクライナ領土です。
クリミア半島での住民投票が、ロシア軍の圧力の下に行われたかそうではなかったかは別にして、ウクライナ政府が「そんなもの認めません」と言ったら、独立は認められるワケないんです。
何勝手な事やってんの、あんた達、なんです。

クリミア半島は、18世紀にロシア帝国の領土になるまでは、オスマン帝国の属国だったとはいえ、クリミア・タタール人の国でした。
キエフ(キーウ)大公国が支配した時代もありましたが、支配はビザンチン帝国に移り、その後キプチャク人に支配され、13世紀にモンゴル帝国に支配されます。キプチャク汗国とも呼ばれますが、前出のキプチャク人とは関係なく、この辺りからカザフスタン辺りまでをキプチャクと呼んだので、キプチャク汗国とも呼ぶ、という事です。現在は、ジョチ・ウルスと呼ぶ方が多くなって来たようです。
モンゴルの支配も、内紛で弱まって行きます。そして、ジョチ・ウルスの後継国家みたいな形で、クリミア・ハン国が15世紀に出来ます。オスマン帝国支配下ではありましたが。
そして、18世紀後半までクリミア・ハン国は存続しますが、ロシア帝国に呑み込まれて滅亡しました。
ウクライナ」は登場しません。

キーウ大公国時代は、「ロシア人」とか「ウクライナ人」という意識は存在していなかったそうなので、「ウクライナ」としての領土になったのは、1954年にロシアからウクライナに移されてからです。
ウクライナは、ソ連邦構成国として主権は無い様なものでしたが、一応ウクライナとして国際連合にも加盟していたワケですから、ロシアとウクライナという国どうしで決めた事ですから、クリミア半島ウクライナの正式な領土です。
ウクライナ政府が認めないのに、「何を勝手な事やってるんだ、ダメだよ、独立なんて」というのはそういう事です。
当時のウクライナに、ガッチリした軍隊が存在していたら、ロシアはクリミア半島併合なんて出来なかったでしょうね。
独立武装組織が、ドンバス地方を制圧する事も出来なかったのではないかと。
「おのれ、ロシアめ!」とばかりに、8年あまり掛けて粘れる軍隊を作り上げたウクライナを、ロシアは舐めてたんでしょうね。
ロシア軍のだらしなさもありますが、西側からの兵器援助でこうも戦えるとは、軍隊を鍛える為の強力な支援があったのでしょう。

暴れ者的な集まりから始まったアゾフ大隊ではありますが、アゾフ大隊の様な集団はアゾフ大隊だけではなく、他にも幾つかあったそうです。
アゾフの名ばかりが有名になっていますが、「ウクライナで何してくれてんじゃ、オラァ!」という人達はウクライナ全土に居た様で、アゾフばかりじゃなく、この人達も先頭に立って戦っている様です。
こういう人達と、力を付けた国軍がロシア軍を押し返しているのですね。

クリミア半島奪還かあ……、この争い、長引きそうだなあ😓

韓国保守派も大概なんだろうけど

韓国の左派って、北朝鮮の体制はトンデモナイと思ってるんでしょうか。左派だけど、反北朝鮮体制なんでしょうか。
親北だけれど、反北体制なんでしょうか。
李氏朝鮮から大韓帝国の時代、大多数の国民が辛酸をなめたあの悲惨な時代と現在の北朝鮮、基本同じなんじゃないですか?

日本にも、主体思想を崇めるおかしな人達はいますけど、この人達は特殊です。
でも、韓国の左派は主体思想に憧れを持ってしまってる人が沢山いるんじゃないかしら。
そういう人が沢山出て来るのは、それだけ生活が追い込まれてる人が多いからでは?
追い込まれてる人達って、全体主義者には絶好の獲物なんです。
ましてや韓国では、良いおもいをしている人が墜ちるのを見て、恍惚感に浸る傾向がありますよね。
溜飲を下げた後の事を考えないのは自由ですが、溜飲を下げたとして、その後が金王朝支配下だったら目も当てられないでしょうに。溜飲を下げる前に粛清される体制になったらどうするんでしょう。
いくら後の事はどうでも良いと思ったとしても、主体思想で国が運営されたらどうなるか、ぐらいは考えたらいかがでしょう。
軍事政権下だった時代の比じゃない事ぐらい、解りそうなものですけどね。

人権も何もあったもんじゃない北朝鮮を崇める人達がのさばっていられるのは、保守派にもデカい責任があるんじゃないかしら。

豊臣秀吉の朝鮮出兵(慶長編)

文禄の出兵で日本の強さを見せつけた秀吉ですが、慶長の出兵は何故行われたのでしょう。
渡海させる予定の軍の一部を日本に留め置いたまま、時間が経って秀吉は病死して終了してしまいますが、何故渡海させるはずだった軍を留め置いたのでしょう。
渡らなかった徳川家康は、なんのかんの理由をつけて渡るのを引き延ばしているうちに秀吉が死に、戦力を温存できたのが大きかったなんて話もありますが、秀吉が「まだ渡らなくて良い、もう少し待っておれ」と家康を留め置いたとか。

実際のところはわかりませんが、留め置いた説を見てみる事にします。

秀吉が2回目の朝鮮出兵……というより今回は明まで攻め込むつもりだったそうです。
2回目の出兵の原因はスペインにありました。
スペインのアジアの拠点のルソン(フィリピン)のマニラなど、日本にすればどうという事もない弱っちい存在でした。
バテレン追放令が気に食わないなら、何時でも攻めてこい、ボッコボコのギッタギタにしてあげるから……ってぐらい日本は強かったんです。
このバテレン追放令、ある時大層立派な宣教師の拝謁を受けた秀吉が、こんな立派な人物が布教するなら構わないってんで、令は有耶無耶になってしまいます。この時期に、キリシタン大名とか出て来ます。
しかし、ある事があって又々「このバテレンめが!」になってしまいます。

ある時スペインの船が難破しました。幾人かは救助されたのですが、助かった船員の1人がとんでもない事をベラベラ喋ってしまったのでした。
この船員は下っ端だったらしく、スペイン側の駆け引き事情など知らなかった様です。
東洋人を見下すヨーロッパ人モロ出しの人だったのではないかと思います。
見下していた日本人に頭など下げたくなかったどころか、威張りたかったのでしょうね。
スペインの戦略を喋って、偉そうにしているのは今のうち、みたいに言って馬鹿にしたかったのでしょう。
でも、言っちゃったらダメじゃんねえ。

何を言ったかといえば、日本の兵士(武士)達にキリスト教の信者を増やし、頃合いを見計らって信者に反乱を起こさせ、スペイン軍と合同で権力者を倒し、日本をスペインの領土にする、と。
キリスト教を基に国を支配するわけですから、スペイン王が上位に来ます。スペイン王に逆らう事はローマに楯突く事になりますから、信者は逆らえません。
そんな戦略を聞いて、秀吉が黙ってるワケありません。日本人を奴隷として国外に連れ出す連中ですから、「やはり碌でも無い奴らだ」ってなりますわなあ。
個人では立派な人がいるからといって、組織の質(タチ)が悪ければどうしようもありません。
スペインが、シナ大陸の明にも盛んに布教している情報は入っていました。
これが慶長の役となったわけです。

文禄の役で、朝鮮も明もバカバカ蹴散らした日本ですから、その気になれば北京を落とす事も出来たでしょう。
実際、明の資料には日本には全然敵わなかったと記されているそうですから。
ただし、明とスペイン軍の連合となると厄介だと判断した様です。信仰の基に纏まった明は厄介なんです、なんたって数が多いですから。
明に対するスペインの影響が増すほどに、日本はマズい事になります。それで、大人数が纏まる前に叩いてしまおう、と考えたのではないかと。


明は人口が多いだけに、大集団といっても日本やスペインとは桁の違う人数になる事は目に見えています。
しかし、キリスト教という信仰の基に大戦闘集団を形成するには、スペインの影響が強くならなければなりません。
スペインの力が強ければ、宣教師は明に庇護されて布教がはかどるでしょう。
という事は、スペインの力が衰えれば布教も進まなくなるとも言えます。
秀吉は、そういう事も思考していた様です。情報を大事にせず、深く考えずに奢って力押しをする様な人ではなかった様です。
日本に来ていたのはスペインだけではありません。スペインの情報を知らせてくれる国もありました。

秀吉は、スペインのどの様な情報を得ていたのでしょう。たぶん、スペインは斜陽国家だと観ていたのではないかと。
スペインが明を支配出来なければ良いわけで、スペインが明をどうこう出来る力を失くしてしまったと判断できる情報が入るのを待ちながら、「明を我々に取られても良いの?」とスペインを牽制していたのではないかと。
「明の次はルソンだよ〜ん」と挑発までしたかどうかは知りませんが、スペインの動きはしっかり観察していたでしょう。
当時の段階で、ルソン総督に明を動かせる影響力は無かったかもしれません。動かせる様になる為に宣教師は布教を頑張ってる最中だったのでしょう。
最中なので、明の兵士による強力なキリスト教軍団が編成出来るわけありません。キリスト教軍団であればこそスペインが影響を及ぼせるのでしょうが、それが出来ないのですから、スペインは出張るわけにいきません。
スペインが増々隆盛になっていたなら、スペイン独自で戦力大増強し、明に揺さぶりを掛けて布教をドンドン進めたかもしれませんが、スペインは斜陽だったのでそこまでできなかったわけです。

更にスペインの国力が落ちていれば、宣教師を庇護する力も落ちるだろうから布教も進まなくなるだろう。そうなれば明はスペインに牛耳られる事はなくなるだろうから、信者を中心にした明の大集団が攻めて来る事も無いだろう……と秀吉らは考えたかもしれません。
朝鮮に上陸した部隊に形ばかり殴らせて、いよいよスペインの国力が落ちて明の支配どころじゃない、という情報が入れば出兵は終了したでしょう。
これはという情報が入っていなかったので、秀吉は九州の名古屋城で宴会ばかりやってたのではなかろうか。
延々、これはという情報が入って来なかったらどうしていたんでしょう。
2回目の出兵を始めてから1年半後に、秀吉は病死してしまいます。

秀吉以外出兵など反対だったので、秀吉が死んだら皆サッサと引き上げた、秀吉の妄想に付き合わされた大名達は大変迷惑だっただけ……みたいな説が幅を利かせていましたか、実際は違うのではないかという説が出て来ています。
日本は、権力者と僅かな側近だけで方針を決めてしまい、有力大名の意見も聞かずに命令するだけ、という権力者はあまりいません。
織田信長も秀吉も判断決断の切れ者だと思いますが、有力者達と情報は共有していた様です。
朝鮮出兵を決断した秀吉は死んだし、懸念だったスペインの明への影響力は無くなりそうだし、「もう明へ攻め入る必要無くなったから帰ろっと」という事で、秀吉の死から数ヶ月で引き上げてしまいました。

因みに、ネーデルラントのスペインからの独立戦争が激しくなった原因のフェリペ2世は、秀吉が死ぬ1週間ぐらい前に死んでいます。
日本が朝鮮から引き上げた時点では、フェリペ2世が死んだ事は日本は知るよしもありません。数ヶ月で情報が届く時代ではありませんから。
スペインの王の死亡を知らなくても、「スペインはもう無理だね」という情報が入って来たのでしょう。

かくして日本は、暫くの間外国から平和を乱される事無く過ごせたのでありました。

それにしても皮肉なものです。
戦国の世が長い間続いて鍛え上げられていた為、鉄砲に対する反応も速く、軍事力の強大な国家だった事が残虐なヨーロッパの国々の餌食にならずに済んだ大きな理由になりました。
昔と変わらないのは、弱いと食われるって事。
ロシアは、ウクライナがここまで反撃して来ると判っていれば、攻め込んだでしょうか。
ドネツクやルハンスクが独立宣言したのだって、ウクライナが弱いと判断したから独立宣言させたんだと思います。
密かにロシア軍人などを送り込んで武力行使したけれど、ウクライナの軍は弱い、ってんで今回の侵略を行った、と。

弱かったり軍事力が無いと、ヤッパリダメなんですね。