新兵衛の覚え書き

見た聞いた読んだ浮かんだ思い出した……を書き留めています。

アイヌの人口が増えなかったのは

江戸中期のアイヌの人口の記録では、約2万3千人となっています。
その後徐々に減って行くのですが、その理由を和人によるアイヌへの過酷な労働を強制連行して行わせたために大量の死者を出し続けたからとか、女を強引に妾としたので純血がいなくなって行ったとか聞きます。
江戸時代末期、疱瘡(天然痘)の大流行で人口が減ったのもあります。
因みに、疱瘡は和人が蝦夷地に持ち込み、免疫の無いアイヌが大量に死亡して人口が減ったという記述を目にする事がありますが、幕末に持ち込まれた様な錯覚をしてしまう書き方です。
1669年のシャクシャインの蜂起の理由になった、松前藩により毒殺されたと勘違いされたシュムクルの酋長(シュムクル全体の酋長ではありません)は疱瘡で死亡していますので、疱瘡自体は昔から蝦夷地にも存在したと思われます。

アイヌの人口が増えるどころか減って行ったのには、別な話があります。
酋長とその一族による富の集約があり、女も財産として酋長に集められるという状態だったそうです。どんどん妾として囲って働かせていたそうです。
女も働き手ですから、働き手が酋長やその一族に偏って行きます。
一般の民は、働き手は取られて収入はおもわしくなくなるし、めぼしい女が持っていかれるので妻を持てない男も出て来るので、踏んだり蹴ったりだった様です。
妾を多数抱えた側は、1人の女に飽きれば次に行けますから、沢山の妾それぞれに4人も5人も子供を産ませるなんて事は無いでしょうね。
一夫一婦ならそれぞれ何人もの子をもうけられるでしょうが、一夫多妻だとどうでしょう。
女1人に子はせいぜい2人かなあ。
執心されればもっと産めるでしょうけど、子の死亡率は高かったわけですから、少ない人口なのに女集めをされていたのでは、人口は増えないどころか減ってしまうでしょうね。

いつ頃からそんな習慣になったのかは分かりませんが、権力層とそれ以外ではかなり貧富の差があったそうですし、あぶれる男達(妻を持てない男達)が出るほど女を集めてしまえる権力者が君臨してたなんて、アイヌの社会って結構大変だったんですね。
そういえば、和人を妻とか妾にするのは、権力者の証でもあったので、和人を囲ってもいたそうです。

めぼしくない女(食指が動かない女)が一般の民と夫婦になっていたのであり、この夫婦が沢山子をもうけていなければ、アイヌはもっと少なかったでしょうね。
元々人口が少ないのであり、1つの集落だと更に少ないのに、人口の少ない集落内で女を多数囲われてしまったら、そりゃあ集落の人口が減って行ってもおかしくありません。
沢山の集落で行われていたら、全体の人口も減りますよね。
ただし、これは私の推測でありますけどね。もしかしたら、これが人口減少にある程度影響したのかなあ、と。

ふ、と思いましたが、囲われなかった女達が沢山子を産んでくれたのでアイヌは消滅しなかったのでは、と。
そうでなければ、アイヌはとっくに和人の血に呑み込まれ、文化遺産が遺っていただけかもしれません。

あくまでも、権力者がめぼしい女を多数抱え込んでいた事からの推測です。
幕末の疱瘡の大流行による人口減少以外、人口減少の原因情報に色がついているようなので、判断を控えております。