新兵衛の覚え書き

見た聞いた読んだ浮かんだ思い出した……を書き留めています。

クリミア半島の事

クリミア半島って、元々ロシアだったわけではありません。
キーウ公国ができるずっと前から、スキタイ人だとかが住んでいたそうです。
ペルシアだの東ローマ帝国だのの影響下にあって、現セヴァストポリの近くに植民都市が営まれていたそうです。

2500年ぐらい前に生まれたと言われるヘロドトスの書物に、スキタイとかが出て来ます。
スキタイ人やキンメリア人は遊牧民で、南ウクライナを主に活動していたみたいですが、現在のスラブ人に分類される人々とは違っていたのかなあ。

その昔、スウェーデンからやって来た一族がいました。所謂バイキングです。
この一族が支配層となって、やがてキーウ公国を建てます。
キーウ公国は、クリミア半島を経由して交易を行いましたが、クリミア半島にはスラブ人しか住んでいなかったわけではありません。テュルク系も住んでいた様です。
キーウ公国に滅ぼされたハザールという国も、テュルク系な可能性が高いそうですので、クリミア半島にテュルク系住民は結構居たかもしれません。

13世紀、モンゴルが押し寄せて来て、キーウ公国は滅亡します。
東ヨーロッパを支配したキプチャク・ハン国は、16世紀に滅びてしまい、クリミア半島クリミア・ハン国というのができます。クリミア・タタールという人達が創った様ですが、クリミア・タタールはテュルク系だそうです。
テュルク系といっても、スラブ系との混血が長いですから、モンゴロイドの遺伝子は薄く、コーカソイドと言って良いとか。

クリミア・ハン国は、オスマン帝国ロシア帝国の配下になり、ソ連によって完全に自由がなくなってしまいます。
独ソ戦時、独に加担した嫌疑でクリミア・タタール約20万人が、シベリアなどに強制移住させられましたが、その過程で約半数が死亡しました。猜疑心てんこ盛りのスターリンは、こういう事には躊躇しない人でした。

ソ連は、黒海の海軍拠点をクリミア半島に造るなど、ドンドン開発して行きました。それに合わせてロシア人が大量に移住して来ます。
帝政時代既に、クリミア半島タタール人は少数派になっていましたし、スターリンによって強制転出させられたタタール人が多数だった為、ますます少数派になってしまいます。
スターリンの死後しばらくして、フルシチョフによってクリミア半島の管轄はウクライナに移されます。
ウクライナの領土にしたわけですが、ソ連が支配するウクライナに移したからといって、大した問題ではなかったんです、当時は。
クリミア・タタールの帰還も許され、クリミア半島に占めるタタール人の人口は1割になりました。
……1割……昔はもっと率が高かったんじゃないかしら。

ソ連が崩壊し、ウクライナは完全に独立します。当然、ウクライナ領土になっていたクリミア半島ウクライナになります。
ウクライナを構成するクリミア自治共和国となります。
ところが2014年、ロシア支配の下で住民投票をやらかし、ウクライナから独立した事にしてしまいました。
クリミア半島のロシア系住民は65%ぐらいだそうですが、現在ロシアに侵略されているウクライナのロシア系住民に反ロシアが多数居る事から、クリミアの住民投票の結果も怪しいです。
独立に反対票を投じたタタール人は500人しか居なかったとの事ですが、じゃあ何故何万人もウクライナに『逃げて』来るんでしょう。
タタール人の反対500人、って分かるって事は、記名投票でしょ、これ。恐ろしくて反対票など入れられないじゃないですか。
仕方なく賛成票を投じたけれど、ウクライナに逃げるしかなかったタタール人続出って、いったいなんなんですか。
セヴァストポリ特別区は、ウクライナ独立後もロシア管轄になってたみたいですが、ここを拠点にタタール人やウクライナ人にクリミア半島全域で超嫌がらせやってんじゃないの?命も危なくなる様な。
ロシア系の多くは様子を眺めるしかなく、官憲やナショナリストタタール人やウクライナ人をドツキ回してんじゃないかなあ。

クリミア半島を開発発展させて来たのはソ連とはいうものの、自分からウクライナにあげといて、今更何やってんだかなあ。