新兵衛の覚え書き

見た聞いた読んだ浮かんだ思い出した……を書き留めています。

ミスコンでトランス優勝

アメリカのニューハンプシャー州、デリーで行われた「グレーターデリー奨学金プログラム」とやらで、トランスの人が優勝した。(ここで言うグレーターとは、デリーの周辺地域も含めた広域という意味だろう)。

これは、ミスアメリカが主催するミスコンでもある。

学業・才能・性格・地域貢献などが審査基準になっていて、17〜24歳の女性が対象。1986年から始まった、女性対象の奨学金コンテストとの事。何故に奨学金コンテストがミスコンを兼ねているのか不明。

優勝者以外の、画像に出て来る出場者は皆容姿端麗である。という事は、過去において容姿端麗ではない人は「奨学金コンテスト」から弾き出されていたという事か。とするなら、「なんだそれ、奨学金コンテストだろ?」となってしまう。

この大会の優勝者は、上位コンテストであるミスニューハンプシャー州コンテストに出場する事ができるが、上位大会は奨学金を得る為の大会ではないよね。得るのは賞金であって、奨学金ではないよね。とするなら、グレーターデリーミスコンも奨学金とか言うなよ、賞金て言えよ。奨学金に容姿が絡むなら、差別も甚だしいだろうに。容姿端麗でなければ、奨学金が受けられないなんて、とんでもない話だ。

 

さて、このミスコンの優勝者のトランス、私見ではとても容姿端麗とは言えない。体型も顔も。

アフリカ(全地域ではない)や、南洋のトンガとかなら、体型だけなら入賞できるかもしれないが、顔も合わせると落選かと思われる。

何故この人物が優勝したのだろう。アメリカは、拗れに拗れているとしか思えない。

他の出場者を見るに、皆さん容姿端麗である。人々は、他の出場者の様な女性を容姿端麗だと思っているからこそ、そういう女性が集まったと言える。そういう女性達と真逆な容姿の女性を容姿端麗と思っているなら、出場者は優勝者と同じ様な容姿の女性ばかりになると思うんだけどなあ。

 

スポーツ競技ではないから、容姿端麗ならトランスであろうが構わないというのが私の考えだか、人々の感覚とかけ離れたこの結果は、ミスコンの終わりの始まりなのだろうか。

ミスコン自体に反対する人々は、この結果をどの様に思うのだろう。

人々の好みは、急速につくられて来たものではなく、何か仕掛けが有ったとしても徐々に変わって行くものだ。

体型で言うなら、好みの中心がデブった人という地域はあるが、ガリガリが中心という話は聞かない。多くはその間に収まる。ミスコン「グレーターデリー」は、その間から大きく外れたデブった人が優勝した。トランスだから選ばれたのだろうか。だとしたら、トランスなら容姿はどうでもよかったという事になりはしまいか。

ミスコン反対者の抗議が激しい為(恐ろしい行動に出る輩もいるのかもしれない)、それを躱す為にこんな事をしてしまったのだろうか。

捻じくれてるなあ、と思ってしまう。

 

1986年から始まったというこの奨学金ミスコン、当初は容姿も競うミスコンだったのだろうか。上位大会の予選も兼ねて始まったのだろうか。ならば、「奨学金」を出す対象を容姿で差別していた事になる。

デリーという町の宣伝にしようとでも考えたのだろうか。それであっても、容姿を審査基準のひとつとするものに奨学金はないだろう。理解できないミスコンだ。

ミスコンに、トランスというアドバンテージを与えてはならないと思う。ミスコンは、女性としての容姿端麗さを中心に選ぶのだろうから、審査する側がトランスを見て「容姿端麗な女性だ」と感じれば良いわけで、トランスを理由に加点してはダメである。

グレーターデリーは、最初から結果が決まっていたんじゃなかろうか。

 

因みに、この優勝者は「プラスサイズ」の広告に起用されていたそうだ。