随分昔、ある老人が選挙に当選して万歳する人達の姿を見て、何故降参する形のバンザイをするのだろう、と言っていた。祝う時の万歳は、両掌を内側に向けるんだよ、と。
高齢の男性が1人掌を内側にしていたが、他の高齢者も皆降参バンザイをしているのを見て、ただ両手を上げれば良いというものじゃない、作法というものがあるんだ。共産党の連中なら、日本の作法などクソっ喰らえだろうけど、自民党の連中がこれじゃあ、日本の未来は暗いなあ、と。
インターネットが普及して、お辞儀の際の手の位置で盛り上がる事が何度かあったが、万歳についても取り上げられる様になった。
右足を半歩前に出し、なんてな作法に無かった事を動画で流す人もいたが、両掌は内側に向けて上げるというのは浸透して来たようだ。
当選を祝う場面を見ればわかる。降参バンザイは随分減り、掌を内側に向ける万歳が多くなった。
どちらでも良いだろ、うるせえな、という人はいるだろうけれど、祝いと降参は掌の向きが違うんだよと言われれば、祝の作法をスンナリ受け入れられる様だ。
何故内向きにするかは、私には分からないけれど、何か理由はあるのだろう。
降参バンザイだと、持ってるモノを手放すとか放り出すみたいな気もするから、目出度い事はシッカリ押さえるみたいな気持ちで掌を内向きにするのかな?
目出度い事を手放す様な形は、縁起が悪いと言える。
それにしても、インターネットの力って凄いなあ。
だけど、お辞儀の際の手の位置は昔に戻っていない。これは、マナー講師などが肘張りお辞儀を指導しているからだと思われる。
あれって、身分階級差があるみたいで私は嫌な気持ちになる、止めて欲しいなあ。