松の廊下と聞いても、今やピンと来る人はかなり少ないでしょう。
刃傷松の廊下と聞いても「人情?何それ」だと思います。
刃傷松の廊下といえば、その廊下で刃傷沙汰が起きた事から、芝居の名場面としてそう呼ばれる様になりました。
江戸時代の1701年に、赤穂藩主浅野内匠頭が高家旗本吉良上野介を、松の廊下で斬りつけるという事件が起こります。
実際には、斬りつけたのではなく峰で打ちつけたのだそうですが、芝居では斬りつけた事に脚色されています。
この場面を歌謡浪曲に仕立て上げ、「ああ、松の廊下」という曲名で三波春夫か歌いました。
私的にも、世間的にも皆さん、斬りつけた後のもう一太刀浴びせようとする時の情の姿が一番心に響くようです。詩を書いた人もそこに心が響くのでしょうね、そんな作り方になっているのではないかと。
「お離し下され梶川殿」
「討たせて下され梶川殿」
私、ドラマの忠臣蔵はあまり覚えていません。
しかし、三波春夫のこの歌のセリフはシッカリ覚えています。
言葉にして表現する事は私にはできませんが、何か心を揺さぶるものがあるのです。
「何か」って何?と聞かれても、何かと答えるしかありません。
ある年代以上の人なら、何か解るなあとなるでしょう。世代が下ると解らないみたいです。日本の教育現場は、なんて事してくれてるんだか。