新兵衛の覚え書き

見た聞いた読んだ浮かんだ思い出した……を書き留めています。

慰安婦像…いつのまにやら平和の少女像に

最初から作品名が平和の少女像だったかどうかは私は知りません。慰安婦だった少女という事で世に知られたのですし、謝罪しろ、賠償しろという訴えの象徴として持ち出して来た物であるから、慰安婦像という名で認識してしまったものです。

平和の少女像と呼んでみたところで、売春を生業としなければならない人は現在進行形で世界に溢れていますから、たとえ日本が戦争しなければ慰安婦に身をやつす少女も出現しなかったなどと言ったところで、たまたま戦争が起こって需要が増えただけの事で、むしろ官の監視が厳しくなった分稼ぎ易くなったのでは?となってしまうのではないかと。
平和を訴えようとの思いで造ったんなら日本をピンポイントで攻撃する説明書きはおかしいよね、という事にもなってしまいます。
現実に、アチコチに設置している慰安婦像にはそういう説明書きがされていて、国連の関係機関にまで乗り込んでピンポイント攻撃をしていますから、戦争で悲惨な売春婦が出る的な世界への反戦の訴えではないと思って良いかと。
という事は、平和の少女像という名自体が嘘くさくなります。

当時彼女達を慰安婦と呼んだのは、単なる日本帝国軍の面子でしかありません。買いに行く建物が同じでも遊廓ならダメで特殊慰安婦所なら良い、みたいな事でしかありませんでした。つまり、遊廓を慰安所と呼び名を変えればそれでOKだったわけです。
そんな事に拘る軍隊が、女性を強制連行してグッチャグチャにして捨てまくるって考え難いのです。
検証は別にして、韓国内での元慰安婦の証言を集めて出版したものを発禁にしたり、研究者を弾圧したりしてるのを日本人は知っておりますし、欧米で何をやって言いまくっているかも知っております。
出鱈目ばかりというのが、日本内の韓国擁護派の攻撃や隠蔽?にもかかわらず知られて来ました。
なので、当然慰安婦像も平和の少女像などではなくプロパガンダの為でしかないモノとしての認識が広がって来ました。

この像は、日本にとっては濡れ衣でしかありませんから、たとえ私費での展示会であっても私は認めません。
ましてや、公金を使うとは何事だ、と思います。
昭和天皇の事を扱ったモノも特攻で散華された方々を愚か者扱いしたモノも、芸術の名を借りたプロパガンダみたいなモノでしょうね、あれは。
ガッチガチで偏るだけ偏った思考での、芸術性などどうでも良いかのような、宣伝の為だけのようなモノであり、日本人を踏みつけるかの様なモノに公金をだすな、馬鹿者!
中止したぐらいじゃ全然足りないわい!