新兵衛の覚え書き

見た聞いた読んだ浮かんだ思い出した……を書き留めています。

アラブのオカルト系You Tube動画

日本などでは、幽霊は人が亡くなってなるものですが、イスラム教の関係なのかどうかは分かりませんが、アラブではジンという魔物(悪魔?)として扱われている様です。

 

イスラム教の世界でも、キリスト教の世界でも、オカルト系動画に一定の人気が有るのは同じ様です。

私達が普段目にするオカルト物は、ところどころ音がしたり物が動いたり、声が聞こえたりで不気味な静けさの場面が多いのですが、アラブ物は違います。

頻繁にドアがバタンバタンしてるし、物は落ちて来るし、吊るした照明器具は揺れるしで、大変賑やかです。人型の黒いものが移動する場面も出て来ます。

ヤラセ?と思う人がいてもおかしくない程、ドアがバタンバタン動く場面が結構出て来ますが、恐くないかと言えば結構恐いです、私は。

 

私からすれば、ヤラセかもと思う部分は撮影者が突撃するから。

日本だと、ドアが急に開いたり閉じたりした場合、恐る恐る近付いてソローッとドアの向こう側を覗きます。でも、アラブのYou Tubeはダダッと駆け寄っていきなりドアの向こう側へ突撃します。

恐がりながらも、クルアーンの一節を唱えながらズンズン廃墟を歩き回ります。

ドアがバタンバタンしているところを写しながら、「アッラー○○!(神の名のもとに)」と大きな声で唱えて突撃します。

途中からは、「アッラー○○!」の連呼だけになってしまう程恐がりながらも、どんどん歩き回ります。

 

ドアなど頻繁に動くし音が出るしで、不気味な静けさの時間が少ない、他とは違う雰囲気を味わえるアラブのオカルト動画、一度視聴してみてはいかがでしょう。

 

 

白村江の戦い、初めて聞いた話

何か根拠となる資料でも有るのだろうか。

 

倭国軍の、朝鮮半島への派遣は3年間にも及んでおり、それは唐軍も同じだった。

倭・百済連合軍🆚唐・新羅連合軍というより、主に戦っていたのは倭と唐だったのだと。百済新羅は、申し訳程度にしか戦わなかったのだと。

倭国にとって百済は大事な防衛線であり、百済は滅びたくない。唐にとって新羅高句麗を倒す為には滅びられては困る国であり、新羅は滅びたくない。

百済新羅も滅びたくないし、新羅百済の地が欲しいし、百済は復興が成功すれば次は新羅の地。

なのに、百済新羅も戦いは申し訳程度。百済は一旦滅びているから、戦力が低くなっているとはいえ、倭国にオンブに抱っこ。新羅はズルい事でも考えていたのか、唐軍が主に戦っていたのだと。

新旧の唐書や日本書紀等には、そんな書き方はされていないそうだが、私が初めて聞いたこの話では、倭軍も唐軍も「なんなんだよ、いったい」な気分になっていたんだとか。

やってられるかとでもなったのか、倭軍と唐軍は「お互い一旦引こうや」との話になり、講和したそうな。

倭も唐も、引く引かないは現地の者が決める事ができたようだ。尤も、引いた事を後に裁定されるというのは、歴史上何処も同じだ。通信が発達していない時代なのだから仕方がない。

 

講和が成った倭の水軍は、軍装を解いて帰国前の酒盛りを船上でやっていた。これは、唐軍も同じだったのだと。

だから、倭軍も唐軍も火矢の餌食になって大被害を出したのだと。

くつろいでいたというのだから、船と船を接近させて停泊していたのだろう。連なっている船へ、火矢を撃ち込む事は容易い。燃え広がりもしやすい。

唐軍の損害は言っていなかったが、倭軍は1万人が戦死したのだと。唐軍が、自国兵を犠牲にしてまで倭軍を叩いたのだろうか。唐の時代既に、こういう精神文化がChinaの地に成立していたのだろうか。

それとも新羅がやったのだろうか。

 

私は、資料を読んだ事は無いし、第一読みこなせないから、そういう見方もあるのかと思うしかない。

この見方、資料を読み解いた結果の話なんだろうか。それとも、そう書かれた資料が存在しての話なのだろうか。

 

日本は昔から出鱈目だった、という前提で研究する専門家が跋扈しているので、実際のところや側面が伝えられていないとは聞く。自身も誇りも持つなと言わんばかりな現状なのは私も感じる。

そんな連中が学問の世界を牛耳っている為、日本や日本人を貶められ続けて来た日本人が、こういう話に飛びついてしまうのは、人間として当たり前だ。

この話が、今までの研究より史実に近いのかどうかは私には分からない。

が、結論(日本はクソ)ありきの様な研究?の垂れ流しがなされて来たのではないか、という疑問を持つ為の一石になるかもしれない。

 

 

 

ウクライナ、988年にEU加盟?

ウクライナ政府が出した動画がツイッターに上がっていた。

大まかに纏められた説明文が載っていた。

ウクライナの言葉は全然解らないし、説明文の自動翻訳でも何となく解る程度。

この動画を紹介していたのは、関西に住む在日ロシア人。

ロシア人いわく、「嘘言うな」

 

このロシア人は、プーチン推しではない。ロシアのウクライナ侵略に、攻めたらアカンやろうという考えの人。そんな人でも「ウクライナは988年にEUに加盟」ってなんだそれと言えば、ロシア擁護と思われかねないから、ロシアを擁護するわけではないがと前置きをしなければならないのが現状のようだが、自動翻訳でも「988年EU加盟」となってるから、流石にロシアを擁護するなというリプは飛んで来ないだろう。

まあ、「黙っとけ!」と言う奴は居るだろうけれど。

 

ウクライナが、西暦988年にEUに加盟したというのはどういう意味なのか。何を言いたかったのか。

988年は、キーウ大公国がキリスト教を国教にした年とされている。

988年にキリスト教国の仲間入りをしたのと同じ様に、ウクライナEUの仲間入りをするのだ、ずっとヨーロッパの友人であったのだし、みたいな事を言いたいのだろうか。

歴史を持ち出してこれから先の事を言うのは良いのだけれど、間違った歴史で人々に記憶されるのは我慢できない、という人も出て来るだろう。

ヨーロッパのキリスト教圏の人なら、988年当時のキリスト教が西と東に分かれていた事ぐらいは周知だろうが、それ以外の世界中の非キリスト教の人は、ヨーロッパはキリスト教によって1つにまとまっていた時代があった、と思ってしまうかもしれない。そこにウクライナが仲間入りしたと思ってしまうかもしれない。

だから、現代においてはウクライナEUに加盟するのは当然だ、と思うかもしれない。

世界中がそう思ってくれれば、ウクライナとしては今後がやりやすくなる。

でもねえ、ロシアに頭を押さえられるのは嫌だろうけれど、EUに頭を押さえられるのも考えものなのだ。

 

自動翻訳だから、本当のところは分からないけれど、何故こんな動画を流したのだろう。

 

因みに、988年に改宗したキリスト教は、西ローマ帝国の流れをくむローマカトリックではなく、東ローマ帝国東方正教。それまで土着の多神教だったのを、東ローマ帝国イスラムから改宗しろと誘われていたのだが、東方正教を選んで改宗した。だから、神聖ローマ帝国の仲間ではないわけ。

で、何故東方正教を選んだのか。東ローマ帝国イスラムの力が西ヨーロッパより強かったから、ローマカトリックにはならなかったのだと思う。

イスラムにならなかったのは、イスラム教は飲酒禁止だからだそうな。

988年当時のキーウ大公国の領主は大の酒好きで、酒が禁止のイスラム教なんか嫌だ、となったとかなんとか。

ウラジーミル1世という人ですが、もしこの人が酒を飲まない人だったら、妻4人までOKのイスラム教を選んだかもしれない。

そうなっていたら、現在の東ヨーロッパやロシアは、イスラム圏になってたかも。

ウォッカは存在してなかったろうし、秋田犬がプーチンの下に行く事もなかったろうね。

 

 

朝鮮併合は侵略か

日本が朝鮮を侵略したのかと言えば、う〜ん……である。

朝鮮側からすれば侵略と言えるのだが、日本側からすれば、搾取目的で併合したわけではないので、う〜ん……となる。

日本軍が攻め込んで、朝鮮を占領して王室を潰したなら、朝鮮は攻め滅ぼされたとなるが、日本はそんな事はしていない。

日本に併合されて朝鮮(大韓帝国)は消滅したのだから、日本が朝鮮を滅ぼしたと言えなくもない。

清国にも露国にも戦争で勝った日本に、朝鮮が抗えるはずもなかったから、時の王高宗は併合に従うしかなかっただろう。

手続きを踏んだとはいっても、朝鮮からすれば日本は強大なので泣く泣く手続きを踏んだ、となる。

しかし、忘れてはならないのは、朝鮮の王家はそれなりの身分が保障されたという事だ。王家の贅沢で作ったと言って良い借金を日本が肩代わりし、日本の皇室に連なる準皇族としての扱いがなされた。

それであっても、朝鮮は滅びたのには変わりなく、朝鮮が滅びた後を継いだのは朝鮮民族ではなく日本だったのだから、朝鮮側からすれば侵略されたと言うのはおかしな事ではない。

ただ、当時朝鮮には、朝鮮民族で構成された併合を要求する大きな勢力が存在した事は重要である。尤も、この勢力の中心人物達は、併合の後にそれなりの権力を握りたいとの邪さが顕れていたので、併合後には解散させられた。併合後の朝鮮の人々の事を考えれば、解散させるのが正解。

 

現在韓国では、政権与党と野党で違う主張がなされている。

野党は、日本の軍事侵攻によって侵略されて滅びたと。与党は、朝鮮は内側から腐り崩れ落ちたと表現している。軍事侵攻による侵略は無かったとは言っているが、侵略そのものが無かったとまでは言っていないのだが、それが韓国民に理解されるかは微妙だろう。

軍事侵攻も無いのに占領併合されてしまったのは、朝鮮自ら腐り崩れ落ちたからだ、とは認めたくないだろう。

しかし、それを認めなければ韓国に明るい未来は無い、そう韓国与党は言っているのではなかろうか。

とは言っても、韓国与党も反日には変わりない。

辺野古の座り込みの話

座り込みと聞くと、どの様な姿を想像するでしょう。

目的を達する為に座り込み、ガンとして動かないという姿を想像する人が多いかと思います。

1秒でも座り込みは座り込み、という感覚は無いのではないでしょうか。

同じ人物が座り込みを続けるわけではないけれど、交代で誰かが座り込んでいるというなら、そういう座り込みも座り込みだと思う人が多いでしょう。

しかし、座り込んでいる人が居ない時間帯が長いと、それは座り込み抗議ではなく、単なる抗議活動でしかないと思ってしまうでしょうね。

「座り込み抗議」と、例えば辺野古の様に工事車両が通る時間帯だけ座って声を浴びせるだけなのとでは、感じ方が違って来ます。

辺野古の場合を、座り込みではないとは言いませんが、惰性でやってるだけな印象を受けてしまいます。

活動家やらの激しい発言とは、あまりにも温度差が有る様にかんじます。

ノルマになってるんでしょうか。だとするなら、何に対してのノルマ解消なんでしょう。

 

ひろゆき氏の、「座り込み連続0日にしたらいかが?」のツイートに対し、沢山批判が出ていますが、何やら色々な事が掘り起こされ、興味が無かった沖縄県民はおろか、知りもしなかった全国の人達にも波が行くかもしれません。

 

果たして、基地反対派が増えるのか、「何やってんだ、止めろ」の人達が増えるのか、チョイと興味が湧きました。

 

 

 

「からっ岸田」の事

立憲民主党代表泉氏が、記者団の前で「からっ岸田」と岸田総理の答弁を評し、おもいっきり滑ったそうです。

 

「答えになっていない答弁を答弁とは言わないですよね。まるでダメです、全然ダメです。からっきしな答弁です。からっ岸田総理とか言う人が出て来たら嫌でしょうから、きちんと答弁して欲しいものです。」

みたいに言ったなら、少しは印象が違ったかもしれませんね。

泉さんは弁論部出身だそうですから、もっとサラサラ流す様に話せなかったのかなあ。

からっきしという言葉が何処で使われているか、なんてな説明なんぞしないで、話の流れの中でサラッと使えば良いものを、「こういう言葉がありまして……」とか溜めを作って言うものじゃないでしょうに。

日頃仲間内で「からっ岸田」と言って嘲笑ってたのを使っちゃったのかな、と思います。上手い事言える俺達ってどうよ、と悦に入ってただけなんじゃないの?

力の無い者が、レッテル貼ったり渾名を付けて相手を罵倒したり嘲笑ったりを繰り返しているうちに、根拠の無い優越感にひたる様になるのです。何処ぞの国の国民性がそれ。

何をやってんだかなあ。

 

元総理の菅直人氏は、「スッカラ菅」との渾名を付けられていましたが、記者団の前で「スッカラ菅」と発言した自民党総裁っていましたっけ?記憶にありませんが、言ってたとしたら泉氏と同程度のスカポンタンでありますな。

 

大学教授の山口二郎の「お前は人間じゃねえ、叩っ斬ってやる」は空恐ろしくて嫌なジジイですが、「からっ岸田」も礼儀を欠いた浅慮なオッサンで嫌だなあ、と思うのでありました。

 

岸田総理、息子を首相秘書官に

息子を首相秘書官にしたのは、福田赳夫福田康夫の二人だけだった。福田康夫の息子は現在国会議員だが、康夫も達夫も世襲議員である。今度は岸田現総理の息子が、首相秘書官を経て国会議員の後を継ぐのだろう。

岸田総理の息子は、元々岸田氏の公設秘書ではあった。なので、世襲路線は敷かれていたのだ。

息子が、事務処理能力や人間関係の操り能力に長けた人物なのであれば、採用するのは構わないと思う。忠誠心に気を遣う心労は激減するだろうし。

 

この息子は、何れ総理の選挙区から立候補するだろう。日本の為に働く能力があるのなら、世襲議員だとて構わないのだけれど、保身能力しか無いとか日本の為に働く気は薄いというなら、議員になられるのは大変迷惑だ。

中川昭一安倍晋三の様なら世襲議員でも全然かまわないけれど、福田康夫福田達夫みたいに親中(従中?)なら願い下げだ。

 

しかし、現況で息子を首相秘書官にするってのは、マスメディアを大変気にする総理らしからぬ。叩かれるのが目に見えてるだろうに。

側近も大臣達も、皆信用できないから息子を抜擢したのだとしたら、チャイナにかなり入り込まれているって事かなあ。

岸田氏は、下っ端議員ではなく大物議員であったのだから、公設秘書も狙われ易いかも。ましてや息子だしね。

ハニトラとかに掛かって無きゃ良いけど。