新兵衛の覚え書き

見た聞いた読んだ浮かんだ思い出した……を書き留めています。

政策に対して抗議してはダメなものって有るの?

これは移民問題について思った事です。他国籍者が入国する場合には決まりが有ります。ましてや、居住するとなると決まりが増えます。何故なのでしょう。何の問題も起こら無いのであれば、あるいは問題が起こる傾向が無く、特別法律を作らなければならない様な状態ではないなら、「移民政策」なるものに抗議する事もないのですが、問題が起こるから法律が有るわけですし、抗議するのです。これらの法律は、自国民(共同体民)を第一にした、護る為のものですよね。護るものには、暮らし向きも含まれると思いますから、護るというのは理屈ではないと思います。暮らし向きまで侵されたのではたまったものではありませんから。

所謂「移民政策」は、これに反する性格のあるものです。で、これに抗議すると『ヘイト』ってなんですか。
共同体の最大のものは国でしょうが、できる事なら他国に従属する様な事にはなりたくないものです。ましてや暮らし向きまで左右なれたくないものです。国際間というのは常に火花を散らしている様なもので、どちらが善とか悪というものではなく、自分達を護る為の認識や判断があるだけだと思います。だから、正当化もガンガンやるわけです。

確かに、どこぞの人達のように肌の色だけを以て虐げたりするのはもっての他で、レイシストとかヘイトとして糾弾するのは間違いではありません。
ところが、ヘイトは憎悪も含まれるとされています。憎悪となると、どうとでもなるんですよね、これが。
どういう事かといえば、良い憎悪と悪い憎悪。
事実をねじ曲げようが捏造しようが、罪を造り出して「我々のヘイトはヘイトではない」になり、「お前達のはヘイトだ」になります。
罵倒は憎悪が有るからするわけなのに、罵倒はヘイトではないと言ったり、沖縄米軍関係者へのものはヘイトではないと言ったり。
暮らし向きまでを蔑ろにされて、「もういい加減にしろ、そんなに日本の暮らし向きが嫌なら祖国へ帰れ」「日本の暮らしのルールを自分達用に変えろなんて奴は出て行け」は、確かに憎悪から出てますが、『ヘイト』というレッテルで非難されたり抑圧されるいわれはないのです、基本は。