新兵衛の覚え書き

見た聞いた読んだ浮かんだ思い出した……を書き留めています。

パレスチナのオスマン帝国時代のユダヤ教徒数

オスマン帝国は、信仰宗教自体への強制にはあまり興味がなかった様です。イスラム教に改宗しない事に対して、特別何かを課したとかはあったんでしょうか。

エジプトでは、現在でもイスラム教徒住民自らクリスチャンに迫害を加えていますが、パレスチナでもそういう事が展開されていたのかなあ。

オスマン帝国は、税金さえ納めればどんな宗教を信仰しようが構わなかったみたいですが、ムスリムによる他宗教信者への圧は放っておいたのでしょうか。どんな統治をしていたのか、ザッと検索しただけでは見つかりませんでした。

オスマン帝国支配下になった初期、ユダヤ人は1千家族ぐらいがパレスチナに住んでいたと記する人がいました。仮にそうだとするなら、ユダヤ教徒ムスリムからそれまでにかなりの迫害に合っていたのではないか、と想像されます。

十字軍がパレスチナを支配した時、ムスリムユダヤ教徒を殺戮して回ったそうですから、イスラム勢力に支配されてからもなお、それなりの数のユダヤ教徒が残っていたのでしょう。

しかし、十字軍勢力が倒された後もユダヤ教徒は迫害され続けたのでしょうね。オスマン帝国統治初期にはあちこち合わせて1千家族程度しか居なかったという事ですから。

因みに、世界に散って行ったユダヤ教徒達の内、極僅かのユダヤ教徒の子孫がパレスチナの地に戻って来ていて、パレスチナから離れなかったユダヤ教徒の子孫と合わせて1千家族だそうです。

戻って来た子孫達は、北アフリカとかイエメンとかヨーロッパから戻って来たと書かれていましたが、オスマン帝国の信仰宗教に対する統治は以前までの勢力とは違う、とでも聞いたので戻って来たのでしょうか。ヨーロッパからもと書かれていましたが、あまり戻って来なかった様です。

 

さて、オスマン帝国の統治が続く中、僅かづつにではありますが、中東の他の地域や北アフリカなどからユダヤ教徒が戻って来ます。

貧しいながらも、僅かづつ経済基盤を整えて行ったようで、ユダヤ教徒の増加は先ずエルサレムで見られた様です。

1844年に、初めての国勢調査エルサレムで行われましたが、1番多かったのはユダヤ教徒でした。

ユダヤ教徒が約7200人、イスラム教徒が約5700人、キリスト教徒が約3400人だったそうです。

パレスチナ全体でのユダヤ人は、2万人ぐらいになっていたらしいです。

 

パレスチナへのユダヤ教徒の移住は、僅かづつではありますが継続し、やがて大量な移住者がやって来る時が来ます。

住んでいたユダヤ教徒が、セッセと基盤を造っていたからに他ならないと考えます。1860年代から、エルサレムの城壁外にユダヤ教徒の居住区が建設され始めたそうで、現在の新市街地の基になった居住区が7つ造られたとの事。

ロスチャイルド以外にも、資金力の有るユダヤ人が沢山存在したからこそ、移住ユダヤ人の受け皿を造る事が出来たのでしょう。

大量の移住者の第1波は、1880年代だそうです。シオニズムという思想が出て来る前の事です。

第2波は、オスマン帝国が滅びた後にやって来ますが、ヒトラーの出現によって拍車がかかります。

第1波により、ユダヤ人の数は5〜6万人ぐらいになったと推定されています。パレスチナ全人口は60〜70万人ぐらいと推定されており、ユダヤ人の比率は5〜7%という説がありますが、1割以下であった事は確実な様です。

これは、イギリス統治時代に入った頃の数字だそうですが、アラブ人は大部分が遊牧民として暮らしていたようで、アラブ人自体もあまり数は居なかった様です。

移民したユダヤ人がセッセと働き、沢山の雇用が創出されたそうで、仕事を求めてアラブ人が各地から集まって来たとか。現在のパレスチナ人の大多数は、その子孫なので、パレスチナを返せというのはおかしな話なのだそうです。イスラエルを讃えるクリスチャンが書いている事なので、本当かどうかはわかりませんが。

 

もっと早くから基盤が広がっていれば、ユダヤ人移住者はもっと多かったかもしれません。何せ、当時ロシアではポグロムと呼ばれるユダヤ人迫害が激しく行われていましたから。

この時期、アメリカに逃げたユダヤ人が多かったのです。パレスチナは、まだまだ大変貧しい地でしたので、パレスチナを移住先に選ぶ人が少なかったんです。

アメリカが移民の制限をする様になった為に、覚悟を決めてパレスチナにやって来る人がドバッと増えます。

因みに、このアメリカの移民制限、実はユダヤ人と日本人が対象でした。

 

ロスチャイルド初め、ユダヤ人から資金を引っ張りたいイギリスの思惑も絡み、ユダヤ人移民は増えて行きます。ナチスによる迫害によって更に増え、第二次世界大戦後のユダヤ人の人口は60数万人で、パレスチナ全体の3分の1を占める人口となりました。

 

今回の、ハマスによるイスラエル攻撃が起きてから色々探しましたが、こういう内容に踏み込んだ纏まった話はなかなか見つかりません。

パレスチナの地は、農耕に適した地が沢山有るのに荒れ放題だったとか、パレスチナ人は殆ど遊牧民だったとか、ユダヤ人はオスマン帝国の法律に基づいて手続きを踏んで、エジプトなどに住んでいる不在地主から土地を購入していたからパレスチナ人から土地を奪ったわけではないとか、所々掻い摘んだ話は出て来ますが、纏まった話はなかなか出て来ません。

色々チェックしているわけではないので、誰かがどこかで言ってるのかもしれませんが、物凄く少ないのでしょう。

一般人は、チェックに毎日時間を大量に割けませんから、ザッと検索した記事か幾つかの動画を見るのが関の山です。

わたしが記したものは、偶然見つけたものに過ぎません。検証する時間もありませんからそのまま記しましたが、私でさえ偶然とはいえ見つけた内容のものを、言論などで収入を得ている人達が知らないとも思えません。

知っていても都合が悪いから言わないのか、本当に知らないのか、さてはて……。