新兵衛の覚え書き

見た聞いた読んだ浮かんだ思い出した……を書き留めています。

上野千鶴子さん、30年前は同性愛者を差別していた。現在の内心は不明ですが。

「不利な根拠は隠す」の上野氏、男性への憎悪丸出しとも言える東大の入学式の祝辞が話題になりましたが、この方は同性愛者への差別を強烈に発信していた事があるのはあまり知られていないでしょう。
男性社会に立ち向かっていた人や、共産主義の人達の中には知っていた人も居るでしょうが、上野氏の名前を知っている人も大抵は、「フェミの人だよね」ぐらいしか知らないかと思います。
上野氏が、30年以上前の本に同性愛者を強烈に差別する内容を書いていた、そう聞いたら驚く人が多いかもしれません。

1986年に、上野氏は『女という快楽』という本を出しました。
その中にこんなモノがあります。
ホモセクシャルは多様で自然な愛のかたちの1つにすぎないという、ものわかりのよさそうな意見に与しない。なぜならホモセクシャルは、繁殖に結びつかないばかりでなく、異質なものとの交配という種が強いた自然を、心理的に裏切ろうとする試みだからである」として、「ホモセクシャルを差別する」と断言しちゃいました。
憎悪が感じられる文章です。

今は、とてもじゃありませんがこんな事は言えないでしょうね。
日本では女は差別されていない、そう言ってる杉田水脈氏を憎んでるかもしれませんから、杉田氏を擁護してると思われかねない言動は、絶対にしないでしょう。
杉田氏の「生産性がない」は、同性愛者に対する憎悪は感じられませんし、差別しろと言ってるわけでもありませんが、上野氏は断言しちゃってます。
自分は生理的に受け付けなくとも、他人どうしが愛し合ってるぶんには構わないという人が、日本には結構居たわけですし、差別すると断言しちゃう人は極少数でしょう。
もちろん断言しないまでも、同性愛者が生きづらい雰囲気を作り出していた事は否めませんが。

共産主義の活動をしてる人で同性愛者は、きっと辛くて仕方なかったでしょうね、政党は批判し共産主義国家は罰していたくらいですから。
ソ連が消えた事や、同性愛者に対する流れが強く変わって来た事や、政治に利用できる様になった事から、反対だった皆さんは随分変わった様です。
この変わり方に凄い違和感を覚えるのです。だって極端なんですもん。
その攻撃性に違和感を覚えるんです。
元々「他人が愛し合ってるぶんには構わない」的な人は、今更「LGBTを差別するな!」と喚き散らす様な事をしますかね、あまり考えられません。
就職が不利なのはおかしいよね、とヤンワリ言われれば、「そうだね」となって行くだろう人達に、ガーッと迫ったら「なんだこの野郎!」となる人が出て来るのは決まってるじゃないですか。
それが狙いなんですかね。何かあの騒ぎ方が不自然に感じるんです。

生理的に受け付けないのはどうしようもありません。受け付けないといっても、大抵の人は恋愛対象として個人的にロックオンされる事に対してでしょうけど。
生理的に受け付けない事を、わざわざ世間一般に公言するのは憚られるのが日本だったように思います。
それを、イデオロギーにかこつけてたのが共産党とかなんじゃないかと思ったりもします。
日本で育って来た人達に、欧州やイスラムの様な発想は無かったと思います。
ゴリゴリの共産主義者やらの家庭で育った人はどうなのかは分かりませんが、上野千鶴子氏の様な事を断言する人は日本人にはあまり居ないでしょう、元々そういう土壌じゃないんですから。

たぶんですけど、上野氏の本心はあまり変わっていないんじゃないかと、そんな気がするのです。
『差別』までは行かなくとも、嫌っているのではないかと。
生理的なものは、そうそう変わらないでしょうから。