新兵衛の覚え書き

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靖國会事務局長の自決?

靖國神社近くの路上で、腹部に包丁を刺したまま死亡している男性が発見されました。座した状態だったそうです。
遺書が有る為、自殺と思われます。
靖國会の事務局長を務めていたことから、訴えの為の自決とも考えられます。

靖國に祀られる方々には、「後を頼むぞ!」と特攻で亡くなった方や、戦地で病気や餓死で亡くなった方など様々ですが、皆戦没者です。
靖國神社神社本庁に包括されない単独の存在ですが、法的には宗教法人であるため、特定の宗教で祀るのは政教分離に反するので、無宗教の共同墓地で弔えというのが、所謂反日を中心とした人達の主張です。
しかし、政治権力をどうこうして靖國神社が宗教界を牛耳るとか、靖國神社を使って政治をどうこうするとかは無い様に思います。
どこにでも在った自然崇拝(アニミズム)から発展してきたのが、今でいう神道だと思います。
宗教につきものの教義がないまま今に至っています。
日本国ができるずっと以前から、生活の中に自然に出て来て受け継がれ、だんだんに形造られて行ったと考えます。誰かが「悟りを開いた」とか「啓示を受けた」みたいに突然出て来たものではないでしょう。
日本においては、何の宗教に属していようが神を祀るのは別モノ的な感覚があり、「特定の宗教が~!」という対象ではないと漠然と思ってる人も多いかと思いますが、漠然となので、「特定の…!」と言われると言葉に出来ずに黙ってしまいます。
太古からだろう日本に根付いて来た感覚だから、いちいち言葉にして確認する一般人なんてほとんど居ないでしょう。
だから、的を得ていない言葉で否定されても上手く言い返せないんです。
相手は、否定する為の理屈を考え積み重ねて来ており、反論する情報に一般人はほとんど触れる機会が無かった為に言われっぱなしになり、相手の理屈で日本が染め尽くされるところまで行きましたが、新聞・TVの質の低下とインターネットの普及により、状況は徐々に変わって来ました。

祀り祈ることの長は天皇です。天皇の祈りは、全ての人が対象であり、戦没者に限った事ではありません。
靖國に祀られる人々は、この共同体の盾として死地に赴く役を担った人々です。その役を担った人々用に設けられたのが靖國神社ではないでしょうか。
勿論、人の命に違いはないのに何故別枠なんだと言う人もいます。
命は皆尊いですが、何故死地に赴いた人々を特に尊いと思う人々が居るのでしょう。
戦争を賛美しているわけでも、特攻を賛美しているわけでもないのに、何故尊いと感じるんでしょう。
私の場合は、よくわかりません、です。
でも、とても大事に感じるんです。きっと、私のような者の気持ちを言葉にしてくれる人が現れてくれるでしょう。

天皇の御親拝がなくなって久しいのは、a項戦犯を祀ったのには天皇が反対だからとか言われますが、旧社会党が「政教分離がー!」と国会質問して後、国論が二分しての争いが激しく巻き起こった為とも言われます。
激しい論争が巻き起こる前まで毎年御親拝があったのかといえば、そうではありませんが、久しく行われなくなったのは国民が二分して争っているからだと思います。

国内で争っているぶんにはまだしも、外国からも四の五の言われる事態を招き、国を運営する政権の代表である首相や閣僚が参拝しないのに対し、
今回の自決が起きたのかな、とも思います。
死して申し上げる、みたいなことだったんでしょうか。
もしそうだとしても、事態は変わらないかなあ…悪くなるかもしれません。
相手側は、政治イデオロギーで一億の人々を殺した連中の流れをくんでいますから、散々嘲るなりオカルトだの言ったりして利用するだけでしょう。
安倍氏は、どちらにしても参拝はしないと思いますが、この件が起こった事によって、尚更行かなくて済む理由ができたことになるでしょう。

事情等が分かりませんので、推測を元にどうなるか考えてみました。
この方が安らかに眠れる様に事態が進みますように。