新兵衛の覚え書き

見た聞いた読んだ浮かんだ思い出した……を書き留めています。

佐藤浩市氏の発言に思うこと

体制に抵抗感が有るから、体制側の人物を演じるのは嫌だと思うのは自由だし、そう思うこと自体を映画と絡めて批判するのもこれまた自由。三流だろうが一流だろうが、関係無いでしょう。
原作は、それぞれの考えや立場で悩んだり苦しんだりしながらの模様を描いているのであり、脚本もそうなっているなら、役者も基本それに沿って演技すれば良いかと思います。
この描き方は変だと思っても、そう描いているのだからそう演じれば良いのではないかと思います。

観客を相手にどの様に感じさせるかは観せる側の自由だし、どう感じるかは観る側の自由。
解っちゃいないと馬鹿にするのも自由だし、なんだあれはと馬鹿にするのもこれまた自由。
どう役作りをするかも自由だし、ダメだコリャと思うのも自由。
偏ろうがカッコつけようが自由だし、どう受け取ろうが自由。
観に行かないのも当然自由なので、観に行きませんと発言してもカッコつけるなと発言しても、それだって自由ですから、自由を発揮すればそれぞれが当然の如く批判されるわけです。

佐藤氏の発言にカチンと来た人は、何にカチンと来たのでしょう。それぞれだとは思います。
体制側の人物を演じるのが嫌だという事が、反体制的な思考で日本を貶めて来た勢力を連想してカチンと来る人もいるでしょう。
演劇界だとかは共産主義思考的な傾向が強い、そう思ってる人もカチンと来るでしょう。
しかし、そういう方面からだけなら、これほど炎上はしなかったと考えます。

反体制的な人は、直ぐに独裁と言いたがります。安倍氏は、わりと強いリーダーと言われる事もありますが、とうてい独裁などと言える様なものでもないのに、独裁!と騒ぎます。
そして散々嘲るのですが、その嘲りの中に『下痢ぞー』というのがしばしば登場して来ます。
いまだに「あべ下痢ゾー」と書いてあるのをちょくちょく見ますから、安倍氏disりのキーワードになっているのは否定できません。
佐藤氏は、セッティングにこれを持ち出したと判断され、炎上したと考えられます。

潰瘍性大腸炎は、情けない弱い奴だから患う病気だ的になってしまっていて、しまいには下痢をする事が嘲りの対象にまでされてしまった感があります。
度々下痢をする子供は、子供達の間ではからかいの対象になりますが、病気でさえも子供はからかいの対象にするぐらいですから、大人が率先してやっちゃダメですよね。
それを大人達がやって来ちゃったわけです。
現在の総理が下痢をする情けない奴だからそれを揶揄してやれ、的な発言をしたと捉えられたのが佐藤氏。
反体制的な奴って非道だよなあ、となって炎上した、と考えられるのです。
私も、そういう思いからカチンと来ました。
私は、病気ではないものの腸が弱くて下痢はしょっちゅうでしたから、あの症状が常態なのはさぞ辛かろうと思います。
それを嘲りに使われたら、患者達はどんな気持ちがするだろうと思うと、腹が立って来ます。

公にあんな発言をしなければ済む事であったとは思います。
たとえ佐藤氏が嘲りの意味で設定を変更してもらったとしても、言わなきゃ分かりませんし、演技が絶賛されたのに対し、内心「バ~カ」と思っていても相手が解らなければ、それでおしまいです。
そんなものですのに、何故ワザワザあんな事をいっちゃったんでしょう。
だから、カッコつけてるつもりの大馬鹿野郎的に言われてしまうのです。

杉田水脈氏の「生産性がない」は、差別心から出たものとか馬鹿にしてるとかとは感じないまでも、軽率だなあとは思いますが、それでもあのように炎上するのに、佐藤氏の発言に対してのマスコミやら反体制側の人は騒ぐ気配もありませんから、正に非道な連中だなあと思うのです。
いわゆるネトウヨだって、前沖縄県知事が亡くなった時に嘲った人を非難する人達が居たというのに、左翼とかいわゆるパヨクはいったいどうなっているんでしょう。