新兵衛の覚え書き

見た聞いた読んだ浮かんだ思い出した……を書き留めています。

『おかあさんの料理』への抗議に思うこと

先に言っておきます、母の愛情を侮辱するな!

ファミリーマートで『おかあさんの料理』という商品だかを出したらしいのですが、そのネーミングに抗議をした女子高生が居ます。
岡山のガールスカウトの3人が抗議し、フェミといわれる人達が賛同して騒いでいます。

温暖化で有名になった、中国には一切言及しないグレタ嬢を連想した人もいるでしょう。
物事は単純には行かないものです。解はこれしか無い、というものではありません。これしか無いというものはそうそう無いと思います。
しかし、せいぜいが高校生にその事を解る子はどれくらいいるでしょう。
もっとも、バランスよく話を聴かせれば、高校生なら解るくらいには成長しているかとも思います。
ただし、高校生程度では染められやすいのも確かです。
ガールスカウトの3人の女子高生は、団体の指導層が極端な考えの人達に牛耳られているが故の影響を受けていると思われます。
言っている事に、人と人の間で育まれて行く愛情というものが見えなくなっていると感じられる抗議内容なんです、聞いていると。
更に、2chの創設者であるヒロユキ氏との議論でとんでもない事を言ってる人がいた事からも、極端な考えに蝕まれている集まりが結構有ると考えられます。
この女子高生達が所属するガールスカウトの団体も蝕まれていると考えられます。
労働組合が政治活動主体になっていて、組合の存在する意味が変わってしまっている組合があるのと同じ様に、ガールスカウトの団体も蝕まれているのでしょう。
ガールスカウトの団体といっても、各地区の団体には独立性があるそうで、この件の女子高生の訴えに賛同しない団体もあるとの事。
ただし、ガールスカウトの本部は賛同して、各団体に署名を回してるらしいです。

女子高生を擁護する人が言った事とは、時代に乗り遅れている企業は潰れてしまう、それを救う意味もある、と。
それに対してヒロユキ氏は、上から目線だと返していましたが、そんな生易しい話ではありません。
まるで、自分達の考えが世の中を決めるみたいな話です。
女子高生がそんな事まで意識している可能性は低いでしょうね。これは左翼の考え方です。共産主義と言っても良いし、全体主義と言っても良いでしょう。そういう大人達の教育の発現ではないかと。

『おかあさんの料理』というキャッチフレーズに、買おうかなと思う人ってどういう人でしょう。
何かを想い起こすのかもしれません。
おかあさんへの想いが湧いて来るのではないかと。
料理は母親が作るという押し付けに、従わざるをえなかった可哀相な母親……なんてな反応より、母への愛おしさが湧いて来るのではないかと。
愛おしさに、いちいち理由付けはいらないのではないかと。
母親とは便利なものだ、などという思いの方が先に来る様な世の中なら、こんなキャッチフレーズは出て来るでしょうか。
○○してくれるからお母さんが好き、とか子供は言いますけれど、義理的に○○していたなら、そんな態度の親に子は愛しさは感じないと思います。子は肌で感じるのであり、理由付けをして愛おしく想うようになるのではないと思います。
同じような世話をしても、子に充填される愛情は違って来るでしょう。

料理を作るのは、父親だろうが母親だろうが子供にとってはどちらでも構わないのかもしれません、愛情がしっかり充填されるなら。
料理の出来不出来は二の次なのです。
愛情の1つである料理は、確かに今まではお母さんが担って来た家庭が圧倒的に多かったでしょう。
『おかあさんの料理』という商品キャッチフレーズは、売るため付けたものなのは間違いないでしょう。圧倒的多数が想い起こすお母さんへの愛しさを掻き立てるためでしょうね。
沢山の人が、強弱は別として母親への想いを掻き立てるでしょうから、いつもよりは売れるかもしれません。

ただありのままを色々分析研究するのなら良いでしょうが、権利主調の為の頭で考えた理屈を学術的に見せて、肌で感じる愛情より優っているかの如き言説をまくし立てる人達がいる様です。
こんなものがもてはやされるなら、家庭の絆を壊してしまうのではなかろうか。
マニュアルのような乾いた愛情?の家庭では、親からの愛情というエネルギーが充填不足な子供が出来上がって来るでしょう。

『おかあさんの料理』は、母親にこれからも強制的に料理をさせる意識を持たせるなどというものでも何でもないと思います。
単に、現在母親への愛しさを想い起こすだろうものの1つに料理がある、というだけのものでしかないと思います。
愛しさを想い起こすものが料理でなくても構わないのですが、それの代表的なものに料理があるのです、現在の大人達には。
だから、現在は『おかあさんの料理』で良いわけです。
現在の大人達には『おかあさんの料理』が固定観念であったとしても、世の中の生活が変わって行けば固定観念も自然に変わって行くでしょうから、一気に変えてしまうべく頭で考えたものを強制するものではないでしょう。

『おかあさんの料理』を、母親=女を縛り付ける・見下すだと?
母の愛情を侮辱するな、馬鹿野郎!