新兵衛の覚え書き

見た聞いた読んだ浮かんだ思い出した……を書き留めています。

エタヒニン発言のアイドル

たこやきレインボーだっけ?
そういえば、名前は見た事があるなあ。どんなグループなのか、私には全く分からないけど。

メンバーのひとりが、魑魅魍魎と読めなくてエタヒニンって言ってしまったらしい。
魑魅魍魎、1文字づつで見れば読めない人が多いかもしれない。2文字とか4文字なら読める類の字だと思う。
会話等で使う人はあまりいないだろうけれど、おぞましさを表現する時にはスルッと出て来る語だとは思うけれど、世代によっては違いがあるのかもしれない。
若いほど、語彙が少なくなるのは経験年数の違いだろうけれど、語彙を増やして表現を豊かにしようとする意欲は、随分と薄れてしまった様な気がする。
やたら横文字を使う風潮になって久しいけれど、それも原因かなあ。
敬う、敬意をはらう、尊敬する、をリスペクト一本にまとめて使ってるのが典型かと思う。
雪辱をはたす、仕返しする、は使い分けしていたものだけれど、リベンジ一本になっているしね。
仕返しは残るだろうけれど、雪辱は消えてしまうかもしれない。いやいや、この勢いだとリベンジしか残らなくなるかもしれない。

さて、魑魅魍魎とエタヒニンの読み間違いについてであるが、魑魅魍魎とは現実世界には存在しない化け物の事だから、歴史の教科書にその語が登場したとしても、印象が強く残る授業などしないだろう。
一方、エタヒニンは現実に存在した身分であり、被差別民であるから力を入れた授業をしている可能性が高い様に推測する。
荒んだ姿の挿絵が有れば、エタヒニンの語とコンビで印象に残るだろうと思う。
魑魅魍魎の姿を見て、『荒んだ姿のエタヒニン』が記憶の底からポンと出て来てしまい、エタヒニンと言ってしまったのかもしれない、このアイドルは。
魑魅魍魎という語を読む機会など、ほぼ無い生活を送って来たのだろうし、エタヒニンという語もほぼ使う事がなかったろうとするなら、残るのは絵への強い印象だけかも。

所謂被差別『部落民』でさえ、セッセと学校で教えなければ(セッセ、と書いたのは日本蔑み教育をしていると聞くから)大多数の生徒達の意識から消えて行く可能性が高いと思われ、ましてやエタヒニンが意識から消えて行くのはもっと可能性が高いと思われる。
歴史に大した興味がない学校生活を送れば、エタヒニンがどういう存在だったかなんてな覚え方はせず、エタヒニン=『荒んだ姿の人』みたいに記憶されてしまうだけだろうと思う。
当該アイドルは、そういう人の1人だったんだろうと思う。

実生活の中で、エタヒニンを意識して忌み嫌う人って、いったいどれだけ居るのだろう。
自粛させる程に騒ぐのは、最早先祖がエタヒニンだった人達には迷惑なのかもしれない。

昔、あるスナックでエッタ衆出身だという建設業界の職人に合った事がある。
北海道の人は、エッタ衆と聞いても反応が薄く、「あ、そう」でしかないのが楽で、北海道に住んでいると言っていた。
そんな事を思い出す自粛騒ぎでありました。