新兵衛の覚え書き

見た聞いた読んだ浮かんだ思い出した……を書き留めています。

夫婦別姓の論争から(2)

江戸時代までは夫婦別姓だった、と単純に史学者までが言うそうですが、その例に挙げられる人物に、北条政子日野富子がいます。
北条政子源頼朝の妻。日野富子足利義政正室
源政子とか足利富子とか名乗った資料が見つかったとは聞いていないませんが、実は北条政子とか日野富子とハッキリクッキリ名乗った資料も見つかっていないらしいです……そうなの?
だとするなら、学者達は思い込みで通説にしてしまった、という事になります。
日本の夫婦別姓については、殆ど興味がないのかもしれませんね。単純にシナ大陸からの影響で別姓にした、と思っちゃったんでしょうか。

北条政子が官位を受ける際だかに、書き残した資料が見つかったそうで、そこには『平』と記してあったそうです。北条ではなく平。
平といえば、格の高い氏(うじ)名であります。実家の北条氏は、元を辿れば平氏の出という事になります。
元を辿れば源も平も多く、違う名になって代々発展する氏は沢山あります。
執権となった北条の出自は平、となれば尚更しっかりした素性と思われたのでしょうかね。何せ桓武天皇の血筋になりますから。
……もしかして、大陸の様な夫婦別姓ではなかったのではないか、と思えて来ます。

シナでは、嫁は一族の一員とは見做されず、あくまでも余所者であり、血を繋いで行くための要員……子宮を貸す為にやって来た人的な扱いだった、と論ずる人がいます。
男子を産めないと、婚家にいられなくなる事はかなりあった様です。石平さんがそんな事を書いていたように思います。
個人のアイデンティティだとか自由だとかは関係なく、婚家の姓は名乗れなかったのです。

一方日本。妻は、状況に合わせて実家の姓を名乗ったり婚家の姓を名乗ったりしていたのではないでしょうか。
結構曖昧だったんじゃないかなあ。
皆苗字を名乗る様にと決めたら、「どちらを名乗れば良いんでしょう」という人が沢山出て来たのは、そういう事だからかもしれません。
何故「実家の姓を名乗る事」としたのか。出自が分かった方が良いから、という事なのではと。

日本では、嫁も婚家の一員となりますから、大陸とはまるで違います。
夫が先立てば財産を引き継ぎますし、先立った夫が当主だった場合、妻に能力があれば親族の頭に立つ事もありました。
勿論、男子が産まれなかったからといって、夫に先立たれると追い出されるという事はありません。
子供自体が産まれないからと離縁された、なんて家も有ったという事ですが、基本、婚家の一員として迎えられていた様で、あくまでも余所者で一員じゃないからね、という大陸や半島とは違っていた様です。
恋愛して結ばれるにしても、婚家の一員になる、がセットだったと言えます。
従いまして、夫婦別姓を主張する人達が思っている「伝統の夫婦別姓」は、日本の伝統ではなく大陸や半島の伝統であります。

日本の伝統は、余所者でしかないから別姓なのではなく、個人の尊厳の為の別姓でもなかったのではなかろうか。
素性を示す事が重要だったのではないか、と考えます。
現在、夫婦別姓を認めて欲しい派が言ってる事とは、意味が違うという事です。
なので、夫婦別姓が伝統だったと叫ばれても、「何言ってんだ」になってしまいます。

共同体の存続は、最小単位の家が集まって生きて行く事にかかっています。
どの時代にも存在する独身や子供ができない夫婦や、そして同性で暮らす人達も共同体の中で生きて行くワケです。この人達も共同体の大事な一員なのですが、その人達を支えるのも、昔ながらの大多数の普通の『家』です。
なので人間は、『家』を大事にしようとする意識が有るのだと思います。
時代が違うとか、古い新しいで語れるものではないでしょう。
自由に(好き勝手に)生きるけどフォロー宜しく!って言われてる様な気がしてなりません。

選択的夫婦別姓が行われている国でも、別姓にしている夫婦は少ないと聞きます。
家族というか家というか直感的に大事なものだと思い、姓は同じ方が良いかなあとか、同じ姓になりたいとかの人が多いんですかね。

日本は、夫婦関係など歩んで来た歴史が他とはかなり違う様です。
その歴史が、広く知られるのが先かと思います。

暫くは、夫婦同姓のみで行った方が宜しいようです。