新兵衛の覚え書き

見た聞いた読んだ浮かんだ思い出した……を書き留めています。

選択的夫婦別姓とジェンダー

来たる選挙に際し、とあるアンケートを30歳以下に行った結果が出ていました。
立候補者や政党に積極的に取り組んで欲しいものはどれか、3つまで選べるというもの。

1番多く選ばれたのは、『ジェンダー(選択的夫婦別姓とか)』。
何なの、(積極的夫婦別姓とか)って。
ジェンダー」とは、社会的に見た場合の性区別とかの説明を見ますが、ジェンダーを使う時って、大抵は女性を差別するなという感覚で言ってますよね。
()書きで選択的夫婦別姓とかと入れてある事から、家事・育児は女性の役目と決めるな、という事を絡めているのだと思いますが、そうでないなら何故「選択的夫婦別姓」とワザワザ特筆するんでしょう。
性区別と選択的夫婦別姓は、基本的には別なことだと思いますけど。

今のところ、女性が男性の姓に変えるのが圧倒的に多いですが、これは、男性は家名を引き継いて後世に繋げて行くものだという文化の影響でしょうね。
しかし、男性姓にしなければならないという法律はありません。姓は同じにしろという法律になっているだけです。
基本、ジェンダーとは関係ないと思います。
家事・育児は嫁に来た者がやるものだ、などというのは時代が変われば変わって行っても構わないと思います。
夫婦で分業(外にいく人と内にいる人に分ける)しないと回らない不便な世界ではなくなりつつありますから、家庭内で行う役割りは区別がかなり無くなって行くでしょう。
勿論、出産などは役割分担できませんが、多くは区別が無くなって行くだろうに、何故殊更「ジェンダー」を打ち込まなければならないんでしょう。
専業主婦とかなら、内の事は役割りになると言っても良いですが、そうではない人に家事・育児は女性の役割りと決めつけるのはどうかと思いますが、まだそういう家庭が多いだろうと思いますから、言いたくなるのは当然でしょうね。

しかし、この事と夫婦別姓は別ものと思います。
女性の姓にしてくれないか、とお願いしても「できない」という事で法律上の結婚ができなかった、或いはしなかった人達ってどれだけいるのでしょう。
姓を変えるのは、自分の人格を否定されている様だ、なんて意見も聞きます。
自分と自分の姓が一体で自分が構成されているのだから、姓を変えるという事は自分を否定して新たな自分に作り変えさせられるのだから、それまでの自分の歴史が否定された事になる、なんていう意見も見た事あります。
「○○家に嫁に来たんだから……」みたいな事を言われると、受けて来た○○家の家庭教育で今の自分があるのであり、自分が否定されてる様に感じるかもしれません。
でも、それも時代とともに変わって行くでしょう。随分流儀が違って、相手方親族にまで影響を及ぼして顔をしかめられる様な事をしなければ、「嫁のくせに」なんて圧を掛けられる事はなくなって来ていませんかね。

家族は1つになりましょう、纏まりましょうという事で、姓も1つの下に纏まりましょう、という事ではないでしょうか。
家族であっても、所詮個人の集りだと言って権利や自由を叫んだり、家族からの開放なんてな事を言う人がいますが、家族の絆を言葉では表現しずらい事を弱点と捉えて言っているようなものです。
しかし、共同体社会における基本単位は家族です。独り身の人だけが集まって共同体を継続させているわけではありません。
各家庭で躾等されて社会に送り出されて来た人達が更に家庭を持ち……の繰り返しで社会は維持されて来たのであり、公的に管理・監視されながら育った人達で社会が維持されて来たわけではないのです。
管理・監視された人達が構成する社会なら、家族が1つに纏まって絆を作る必要は無くなるでしょうが、そういう社会なら選択的夫婦別姓であろうが構わないでしょうね。

夫婦二人だけだとか子供1人の3人家族とか、集団とは言えないかもしれませんが、ミニ集団みたいなものです。
集団を作ったり集団に入るには、それなりに覚悟が要ります。
まあ、集団が分裂する事はありますが、集団として1つに纏まらなければならないのが基本です。
ましてや、寝食を共にし、血の繫がった者を抱える基本単位の家族が、1つに纏まらないでは話になりません。
基本単位の基本である夫婦が、アッチでもコッチでもパッパカパッパカ付いた離れたをやっていると、次の世代は秩序が安定しない社会を造ってしまう様です(治安の悪い国や都市に住む人達の話)。
付いた離れたの状況は違っても、行き着く先は同じだろう、なんて言ってる人達もいます(治安の悪い国や都市に住む人達の話)。
まあね、治安が悪くなったなら、公権力がビシバシやれば良い、って考えてるなら甘いです。権力側はアレもコレも制限する方向に行きます。人間はそういうレベルにしかないのですから。
そんな風になる頃には、自分はとっくに寿命が来て死んでるから関係無い、とか言うんでしょうね。
全体主義者達は、後世がそうなるなら喜ばしいと思うでしょうし。

まあ兎に角、選択的夫婦別姓を認めるのは、遠い未来になってから検討する事じゃないかと。
その頃には、人間のレベルが上がっていて、どうでも良くなっているかもしれません。
でも、今はダメだなあ。