新兵衛の覚え書き

見た聞いた読んだ浮かんだ思い出した……を書き留めています。

同性婚

婚姻は自由ですが、一方両性の合意でとなっています。

憲法に、同性の婚姻は禁ずるとか認めないとか書いていないので認めろという言い方は、クレーマーと言って良いかと。
婚姻は両性がするもの、という事しか頭に無い時に作られた憲法に、禁ずるとか認めないとかワザワザ成分化するワケがありません。

婚姻って、現在は社会的承認を法律で行っているようなものと、私は考えます。
同性の場合、それを夫婦と呼ぶのが適当がどうかはわかりませんが、社会が承認すれば事実上は婚姻になるのかな、と。
事実婚という事であり、法律が承認しようがしまいが社会的承認があれば、婚姻していることになります。
社会的承認=法律で認められたもの、とは必ずしも言えないのでは、と。
法律上は婚姻とは認められていなくても、世の人が夫婦だとの認識はできるのです。
法律上は夫婦じゃないけど、あの人達は夫婦だよ……と認められる人達がどれぐらいいるかは分かりませんが。

離婚も多いですが、結婚する時の思いってどんなでしょう。
誓いみたいな思いも入っていませんでしょうか。
後に離婚する事もあるとはいうものの、誓いが入っていませんでしょうか。
同性に対する世間の目は、まだまだ同棲的な見方が強いのかもしれません。
同棲には、誓いみたいなものは感じないでしょうから、結婚を軽く考えるな!みたいなものがあるのかも。
なので、権利ばかり主張する、覚悟の無い人達、みたいな見方をされているかもしれません。

ワアワアと圧力(中には暴力的と映る場合も)を掛けて来る勢力の仲間と見られてしまえば、同性の婚姻が法律上認められる事は難しくなるかもしれません。

同性婚が法律上認められなければ、日本は経済が破綻するとか国の存亡の危機になるとかではないし、認められない事で食えなくなるというワケではないので、「傷付いた、どうしてくれるんだ!」という性急なやり方や、権利権利と声高に叫ぶと世は冷ややかになるかもしれません。
認められない事での悲観から命を絶つ人もいるかもしれませんが、急激に変わらないと社会が直ぐにも崩壊してしまうという事ではないので、徐々に進めて行った方が良いのかなと考えます(スピリチュアル的な立場からは、自ら命を絶ってほしくはありません)。

差別しようと考えての法律ではなく、全然頭に無かったと考えた方が良いかと思います。
結果差別になってるじゃないか、と差別を前面に押し立てて旗を振っている感がしますが、そもそも社会は婚姻というものをどの様に捉えていたんでしょう。
なぜ、婚姻は両性がするものと思っていたんでしょう。
婚姻についての考え方が変わって行っても構わないのですが、過去において婚姻がどの様に捉えられていたかの話って、極悪かの如き評ばかりが声高に叫ばれるので、所謂反日政治勢力に政治利用されているだけではないのか、と思われても仕方ありません。
それ故、婚姻を世の中はどの様に捉えていたかの話は盛り上がらず、天皇並びに皇室を消し去る為の一歩に使ってる、などという極端な意見まで出て来る始末。
田島陽子のように、夫婦別姓は婚姻制度廃止の第一歩なんて人も居ますから、天皇並びに皇室を消し去る一歩と捉える人も居るかもしれませんので、そういう思いから同性婚反対が出て来てもおかしくありません。
その意見になるまでを理論的に説明せよといっても、直感的にでも感じたのでしょうから、説明出来るとも思えません。同性婚を激しく支援する勢力が所謂反日なので、「理論?そんなもの上手く言えるワケないだろ!」になり、双方争い分断しているのが現状かと思います。
過去からの日本を否定して「認めろ!」と迫っても、世間からはなかなか賛同を得られないでしょう。

私は、基本的に同性婚に反対という立場は取っていませんが、当事者ではない支援勢力を怪しく感じる為、現在は法律的には反対しています。
圧力のおかげで、結婚式場の開放も徐々に進んで来ていると聞きますが、開放自体は良い事だと思います。
周りが、事実上夫婦だと思う様になって来ているのかもしれませんが、圧力による強制的なものだったなら違う気がします。
愛を説いて段々に変わって行けるようなのが良いのではないかなあ、と。
当事者達の間でも意見は様々な様で、自分の代では無理でも先の代で何とかなる様に地道に訴えて行く、革命的なやり方を望まない人達も居ます。

今のままだと、憎み合いが増すだけでしょうね。