新兵衛の覚え書き

見た聞いた読んだ浮かんだ思い出した……を書き留めています。

アイヌという人種は新しい?

ベーリンジア、又はベーリング陸橋とも呼ばれる陸地が在ったと考えられています。
ユーラシア大陸アメリカ大陸が陸続きだったんです、最終氷河期の頃は。
1番広い時で南北1600kmの幅がある陸地だったそうです。
人類がアメリカ大陸へ渡って行けたのは、ベーリング陸橋が有ったから。
現在は海中に沈んでいますが。

7万年前から始まった最終氷河期で、海水面が下がる事によって現れたベーリンジア。
アフリカを出た現生人類は、東へ東へと進み、ベーリンジアまでやって来ます。
小集団が、何世代もかけて少しづつ移動して行ったんでしょうが、ベーリンジアに入ってからも同じ様に少しづつ移動して、アメリカに近づいて行ったのだろうな、と。

アラスカまでは到達していたのかもしれませんが、最終氷河期の1番寒い時期がやって来て、アメリカ大陸の南下を遮るほど氷河が大きくなってしまいます。
じゃあ、西に戻って南下したかといえば、それもできなくなった様です。
ベーリンジアの西も氷河で遮られたので、ベーリンジアに住んでいた人類は、1万年ほどそこに閉じ込められる形で留まった様です。
氷河期が終わりに近づき、徐々に暖かくなって氷河は後退して行き、アメリカ大陸を南下する事が出来る様になったのと同じく、樺太や北海道へも渡って来れる様になります。
暖かくなり、だんだん海面が上がって来て陸地が無くなっていきますから、移動しなければならなかったと言えますが、その人達がオホーツク文化の担い手だったのかもしれません。

沿海州辺りからすれば、ベーリンジアへ移って行った人々の子孫が戻って来た、といったところでしょうし、北海道からすれば、新参者という事になるでしょうか。
オホーツク人?が北海道にやって来た頃には、北海道には既に岩宿人が住んでいて、世界最古の磨製石器文化が広まって一万年は経過していた時でした。
ベーリンジアの方へ行かずに、沿海州から樺太、北海道へ向かった人達は日本人の形成に参加した人達かと考えられますが、遥か昔にオホーツク人と先祖を同じくする人達も居ただろうとはいえ、最早人種的にも違う人達になって既に住んでいた、というわけです。

閉じ込められていたベーリンジアから出られる様になったのは、2万年くらい前ではないか、と考えられていますが、北海道に磨製石器が普及したのは3万年以上前と考えられていますから、オホーツク人はずっと後から入って来た人々と考えられます。
岩宿人から縄文人となり(文化の担い手は同じで、呼び名が違うだけ)、北海道の東や北でオホーツク人と縄文人接触が進んでいたところに、オホーツク人が主に住む地へ樺太辺りから入って来た人達がオホーツク人と混血しながら拡大、縄文人とも混血しながら更に拡大し、先住民を圧迫しながら全道に広がり、本州島へ渡って定住する集団も有った……やがて和人と呼ばれる様になった人々に押し返されて行き、現在に至る、ということかもしれません。
因みに、アイヌ文化といわれるものの成立が確認されるのは、13世紀以降です。
シナの元王朝によって、追い散らされたアイヌがかなりの数、この時期に北海道へ移り住み、先住民と混血しながら先住民を圧迫して行ったという事が、もしかしたらあるかも。

現在解っている学術的なものから、こんな想像をしてみましたが、学術的に観ればアイヌ先住民族などではないと思われます。
しかし、その暮らしぶりやらは彼らの特色がキチンと有り、少なくとも鎌倉時代から続いて来たものなのですから、保存するという事自体はおかしくも何ともありません。
おかしいのは、権利を返せだの何だの言って日本や日本人を悪し様に罵りながら、予算を引っ張る集団とそれに応える連中です。

何なんだろうなあ、あれはいったい🤔🤔🤔