新兵衛の覚え書き

見た聞いた読んだ浮かんだ思い出した……を書き留めています。

日本においての夫婦別姓の訴え

自由と人権を旗頭にするかの様に、日本の夫婦別姓派は迫って来ます。
姓(氏)は自分のアイデンティティを消し去られる気がする、自分の人権を奪われるように感ずると。
何故それまでの自分を消し去って、新たに自分を造らなければならないのか。しかも、新たに造るのは相手の姓の下でである、それはおかしい。
相手は姓を変えず、それまでの自分を続けられるのは不平等である、と。
家父長制も槍玉に挙げてもいます。

現在、離婚率はかなり高いそうですが、結婚て離婚を見越してする人ってほとんどいないですよね。
どういう気持ちで結婚するんでしょう。
夫婦で新しい姿を造って行こうって思ってないんですかね。
確かに、そんなに昔ではない頃までは「独りでは食べられなくても2人なら食べて行ける」なんて時代でした。
人間、寄り添った方が生きて行ける時代だったんですが、現在は、寄り添うまでは行かなくても集団に属していれば生きていける時代になりましたから、自分で好きな暮らしがしたいという気持ちは強くなります。
でも、集団に属してはいても全くの独り暮らしは嫌だ、という気持ちの人が圧倒的に多いでしょう。
なんかね、結婚が小さな仲良しクラブみたいになってるのかもしれません。
出入りがユル〜い仲良しクラブな夫婦が存在しても、それは夫婦の自由ですから構いませんけど、それならワザワザ結婚しなくても良いのになあ。
財産分けやらも好きにすれば良いのです。
でも、そんな人が溢れ返ったら、自由主義社会の集団は纏まらなくなるんじゃないかと。
纏まらない集団では、福祉なんか無くなるんじゃないかなあ。

手続きが大変だかとか聞きますが、そりゃあ手間はかかりますよね。
昔々は、福祉は無い状態でしたが、何処へ行こうが自由でした。パスポートなんて無かったんです。
だんだん制度が進み、管理社会になって行きます。
集団を、弱肉強食から守る為に管理が必要になって行きました。それによって徴兵も出来る様になりましたが、集団内の人々への福祉も厚く出来る様になって行きます。
集団は、一世代だけで終了するものではありません。子、孫、曾孫……代々暮らして行ける様に存続させて行かなければいけないものです。
集団が存続して行く為には、次世代が必要となります。次世代を生み(或いは里子)育てなければ、集団は消えて行きます。
次世代がいなくなり老人ばかりになった集団は、消えるのを待つのみですが、そんな状態になったら福祉め何もあったものではありません。
子の居ない夫婦や独身は、別な形で集団存続に貢献できますが、集団存続の基本は子の居る家庭になります。
家庭は、集団内の最小単位の集団になります。

A氏とB氏が夫婦になり、子が出来たとします。
家族の一体感を感じるもののひとつに、ファミリーネームが同じというのが揚げられます。
ファミリーネームをAにしようがBにしようが、どちらでもかまわないのであり、ひとつなのが子にとっては重要です。
地球上では、夫婦が同性を名乗れないところもありますが、日本はそうではありません。
ファミリーネームをひとつにする事で生きて来たのが日本人。
家族の在り方は、そこそこで違うのであり、何処其処が正しくて日本は間違ってるとか古いとかは、比べてもあまり意味は無いかと思います。

ファミリーネームをひとつにする事は、都合より優先すると思います。
A国はこうだ、B国はこうだ、問題なく行われている、なんて事が頻繁に言われますが、だから何?でしかありません。
日本は、受け継がれて来た文化が違うんです。
他の多くの地のように、女は男の所有物というガッチリした文化は無いんです、日本は。
世の中の状況で、男の権力の方が強かったというのはありますから、強い者に振り回される女という状況はあったにしても、女が所有物とされるハッキリした文化は観られないと思います。
政略結婚というのはありましたが、女を物としてしか観ていなかった様には感じられません。

昔は別姓だったと度々聞きますが、妻が生家の氏を名乗る時は、自分の氏素姓を知らしめる為です。別姓だから生家の氏を名乗ったのではないのです。
〇〇家の〇〇の妻〇〇となっても、アイデンティティが否定されるなんて感覚は無かったと思います。
アイデンティティはしっかり持って嫁いでいたわけです。
嫁いだ後に何かしでかしてしまうと、嫁ぎ先どころか生家の名に傷がつくという考えですから、アイデンティティが消えるわけありません。

〇〇家の名だけは汚すなという言い方は、未だに聞く事ができます。
〇〇家の名を汚すという事は、父母や祖父母の顔も汚す事であるのは同じですが、〇〇家と表現するのは、『家』が、家族がひとつにまとまる柱になっているからで、それが日本の文化と言えます。
良い面悪い面有るでしょうが、何でも悪く言うものではありません。
時を経て来たものには意味があります。
自分の都合で感情を爆発させ、今までの歴史を否定する事に全身全霊を注ぎ込んでしまい、叫んで歩くのはいかがなものか。

次世代を送り出す為の精神的柱に、ファミリーネームが有ると私は思っています。
そこのところも考えて決めて欲しいと願うのでした。