新兵衛の覚え書き

見た聞いた読んだ浮かんだ思い出した……を書き留めています。

豊臣秀吉の朝鮮出兵

農民から臣下の最高位まで出世した、豊臣秀吉がもてはやされなくなったのは、近隣諸国条項が原因だと聞きます。
朝鮮を侵略した悪い奴という事で、だんだん悪い評価が広められる様になって行きました。
テレビは視ませんので、最近は秀吉をどの様に描いているかは知りませんが、昔は悪い描かれ方はしていませんでした。
竹中直人大仁田厚が共演した頃のドラマは、秀吉を悪い描き方はしていなかった様に思いますが、現在はどうなんでしょうね。

朝鮮出兵ですが、戦国の世が終わって余り出した兵力を外に向けたとか、調子に乗った秀吉が侵略を始めたとかは前から言われていましたが、実はそうではなかった様です。

当時外国との貿易は、物凄い利益を上げられるものでした。
織田信長もそうですが、秀吉も経済の発展は国の安定に繋がる、という考えの人だったそうで、貿易は経済の発展に大変役立つ事を理解していた様です。
隣の大国、明帝国との貿易を進めようとします。
しかし明は、朝貢という形でなければ受けませんでした。
秀吉としては「朝貢?何言ってんだ、何だその上からの物言いは。何で俺がかしずかなきゃならんのだ」ってんで、「そんな事言うならそちらが朝貢して来い!」となってしまったそうです。
足利義満が、天皇を差し置いて日本国王を拝するなんてなバカな事をやってしまった為、「強ければ何やっても良いのね」ってんで国が乱れ道徳心も薄れた世の中になったと秀吉が解したかどうかは分かりませんが、何故日本が明の下につかなければならんのだ、と思っただろう事は、想像に難くありません。
当時幅を利かせていた、スペインのルソン提督も日本には丁重だったくらい、日本は強い事を秀吉は分かっていたそうです。
勘違いではなく、情報を集めて判断していたとの事。

中華思想の明と、明の一部だった朝鮮。自分達が上だと思っているわけですから、自分達より下の野蛮な国の奴の態度がデカい、征伐してわからせなければならないってんで、軍備を整え出したのだそうです。
そういう情報が、秀吉のもとに入って来たからさあ大変。
「ああそうかい、じゃあやりますか」となりますわなあ。
弱いクセに何を偉そうにしとんじゃ、ワレ!とばかりに殴りまくって終了。
秀吉は、日本の強さを見せつける為に殴りに行ったわけです。
領土にするつもりがないからこそ、居座らないで引き揚げてしまいました。
戦国の世が終わって、兵力は余っていましたし、もし乗り込んだ先で自分の土地を得られるとなれば、居着く連中はワンサカ出て来るでしょう。朝鮮人を使った間接統治もできますしね。日本に連行されて帰りたがった人は、儒者だとか上流階級の人のみだった事からも、日本人が統治したら上手く行った可能性が高いと思います。
でも、そうしないでサッサと引き揚げてしまいました。
強さを見せつければよかっただけだったんですね、秀吉は。

新しい資料がドンドン見つかっているのか、興味深い説が出て来る今日此頃です。