デートなんだから男が奢れとか、なんで男だという理由でおごらなくちゃならないんだとか、ああでもないこうでもないと遣り合っている。
女は、デートに行く際に身支度に金が掛かるからデート代は男が出せとの事であるが、女は昔から「金が掛かるから」を前面に出していたわけではなかろう。
何故男が奢ると決まってるんだと言う男が増えてきたから、「女は金が掛かるから」と特に言い出した様に観える。
男も、女と同じ様な分野に金を掛ける様になったら、女は金が掛かるは通用しなくなる。
男女平等!をやたら紙面や電波で流し続けているのだから、「なんで男が」になる男が増えるのは当たり前である。
思い出してもみよ。男が払うものというのは、女を見下しているからなんてな意見が有った時代を。
現在、給料の男女差がない職場は増えているものの、当時はまだまだ差があった。だから、男が出すものという風潮は確かにあった。女を見下しているから給料が低い、男が出すというのも女を見下している事に繋がっているのだ、と騒ぐ人達が居た。
しかし、女の給料が低かったのは現実であったから、折半などしていたら、女はお楽しみに行く機会が減ってしまうので、世間にはまるで響かなかったといえる。
単なる飲み会でも、女が場に居ると華があるので、男にとっては楽しさが増すから、女が出す額は男より少ないというのが当たり前だった。
女の給料が男と並ぶ様になると、男女の関係性によっては割り勘も増えた。割り勘は増えたが、デート程ではなくても、女はそれなりに身に金は掛けている。それでも女は「どんな時でも男が出すもの」とは言わない。そんな時代ではなくなっている。
しかし、デートとなると話は変わって来る様だ。
確かに、女は身支度により一層金を掛けるのだろうが、何の為に気合いを入れるのだろうか。
より金が掛かってるから、デート代は男が出すものというのを第一の理由にしているのだろうか。
元々の気持ちはそうじゃなかったのではないか。
いつの頃からだろう、何で男が出さなきゃならないんだと言う男がそこかしこに出て来たのは。
私は今の感覚は無く、いわば昭和の感覚であるから、男である自分がデート代を持たないのはカッコ悪いと思っていた。
自分より稼ぎが多い相手であっても、カッコつけていた。勿論、分不相応な事まではできなかったけれど。
それが、女を見下してるんだと言われても、私には「???」なのである。
まあしかし、時代が変わって行ってるのは確か。男のカッコつけは否定される時代になって来たのかもしれないし、カッコ良いとは思われなくなって来たのかもしれない。
とするなら、デート代は、より金を掛けて出掛けて来る女は出さない、というのが一番に来ても仕方がないかもしれない。
なんか味気ないなあ。