新兵衛の覚え書き

見た聞いた読んだ浮かんだ思い出した……を書き留めています。

アイヌの原郷

DNAの解析は進んでいる。

最新の研究では、アイヌ人形成の中核になったのは、シベリアのオニセイ川の中・上流に住んでいた部族で、その祖先はヨーロッパ人と近縁の種だった様だ、と。

ヨーロッパ人の近縁→オニセイ川の部族→アイヌ、という事。なので、東シベリアに古くから居た民族とは風貌が違い、コーカソイドに分類しようとする説もあったくらいだ。

現在の少数民族達は、風貌はモンゴロイド系である。元々が古モンゴロイドかも。ツングース系と混じって現在の風貌になったとして、縄文人や擦文期日本人と混じったアイヌの風貌もコーカソイド?というな風貌にはなっていなかったろう。とてもじゃないが縄文人の直系子孫とは言えない。

古アジア人とは違う種であろう。古アジア人の血も6千年前から入ったのでモンゴロイドに分類されているが、ヨーロッパと近縁の血はかなり残ったのではなかろうか。

オニセイ川辺りに住んでいたのはケット人といい、ロシアが東進して来る前、15世紀以前には東シベリアに20万ぐらいの人口があったのではないか、と言われている(現在は千人程度だと)。

北米大陸には、ケット人を祖先とするだろうインディアンも居るというから、かなり古い。

祖先がアメリカ大陸に渡って行ったはるか後、再び一部が移動をし、アムール川下流に住み着いた。

ここら辺には、原コリャーク人や原テュクチ人が連なる様に住んでいた。

ケット人は、集団内での婚姻をしながらも、コリャーク人とも混じって行った様だ。そうして原アイヌ人が形成される。

アイヌ人は、東シベリアの文化という事になるが、アイヌ文化は、6千年前から3・4千年前までに形成された可能性が高い。

熊送りは東シベリアの民族に見られるものというから、アイヌの熊送りも元が同じだと思われる。

北海道縄文人を元にアイヌが形成された(縄文人の直系子孫)なら、熊送りという文化の形跡が無い縄文人から受け継いだ文化ではない。擦文期日本人にも熊送りの文化は無いから、誰かが持ち込んだと思われる。

主食が植物で、獣の狩猟はほぼしなかったと見られる縄文人達が、熊送りをする様になるわけが無いと考えられる。

では、何故アイヌが熊送りをやるかと考えるなら、アイヌは他所からやって来て住み着いたとなる。

どこから来たのか。アムール川下流の辺りから。

樺太アイヌは、北海道に入らず途中に有る樺太で定着し、他が北海道までやって来た。北海道のアイヌ樺太に進出して住み着いたのではなく、樺太と北海道に分かれたという事だ。

北海道アイヌは、縄文人とか擦文期日本人の血が入った為、樺太アイヌと全く同じではなくなった。

 

無かった文化がいきなり現れ、それまであった文化が突然消えてしまうのは、民族の交代があったから、と考えるのは至極とうぜんである。

 

アイヌは、今で言うなら侵略民族かもしれない。

ヨーロッパ人が銃でインディアンやインディオを蹂躪した様に、毒矢で縄文人や擦文期日本人を蹂躪した可能性はある。