新兵衛の覚え書き

見た聞いた読んだ浮かんだ思い出した……を書き留めています。

縄文時代東日本の人口が多かった

縄文時代は暖かく、東北では三内丸山で知られる大集落が在った事からも、東日本の方が人口が多かったと考えてもおかしくない。

だんだんと寒冷化し、西日本の方が人口が多くなって行ったのだろうと思う。

しかし、何故東日本の方が人口が多かったのだろう。

暖かかったといっても、食料を得るのに大きな差があったのだろうか。

暑い地は暑い地なりに、食べ物は手に入るはずだ。でなければ、日本列島より暑い地の人々はどうやって生きていたのか。西日本だけが食料を手に入れるのが難しかった、という事ではないだろう。一時期人が生きて行きづらい状況が有ったのだろうと考えられる。

 

7300年ぐらい前、種子島屋久島と鹿児島の近くで、鬼界アカホヤ大噴火というのが有った。

その火山灰は凄まじく、西日本では30cm程、関東や北陸や東北の一部でも20cmの火山灰が積もった。生きて行けなくなっただろう。

北東北や北海道にまで火山灰は及ぶも、暮らして行けない程ではなかったから、西日本の死んだ人々を差し引くと、結果的に東日本の人口が多くなったのだろう。何とか逃げ込めた人々もいただろうし。

 

南九州は壊滅的だった様だ。他の地域も、火山灰が積もるので食料に大打撃だったらしいし、火山灰を吸い込んで亡くなる人も多出したろう。

勿論、死に絶えた(1人も居なくなった)という事はないだろうけれど、1番酷い地域から逃げ出したろうから、人は居なくなった状態になっただろう。

生き残った人々は、その後元の土地に戻る人も居たのだろうが、大変だったろう。

さて、何処に逃げたのだろう。遠くへ遠くへと逃げたのはわかるが、皆が東北を目指したわけでもないだろう。

縄文時代、島から島へと外洋航海をしていたというから、丸木舟ではありえない。頑丈な葦舟を造る技術を持っていたろうと想像されているから、これで海を使って逃げたのではなかろうか。

葦舟でアッチコッチ行ってたらしいと考える人達は、アッチコッチに行っていたのだから海流も知っていたのだろう、と言う。

もしそうなら、潮に乗って東北まで行ってもおかしくないし、日本海側の人々は朝鮮半島等へ渡ってもおかしくない。

朝鮮半島では、12,000年前〜7,000年前くらいまで人類が住んでいた形跡が発見されていず、7,000年くらい前の物から遺跡が出だすので、時期的に合うのだ。

出て来るのは縄文の物だし。

 

そんなこんなで東北の人口が多くなったのかな、と。

寒冷化で人口は逆転して行ったのだろうが、6〜7世紀でも、東北には日本列島の人口の4分の1が住んでいたという。

 

寒冷化していなかったら、日本列島には2つの国が存在し続け、現在に至っていたかもね。