パレスチナという地は、現在はイスラエルとパレスチナ自治区を合わせた地の事を言いますが、元々はヨルダンやレバノンやシリアの一部までをパレスチナと呼んでいたそうです。
現在のパレスチナの地に、イスラエルが建国される以前はどんな国が在ったのでしょう。
近代国家は在りませんでした。
それ以前はイギリスの委任統治領で、更にその前はオスマン帝国領でした。オスマン帝国は、1517年にマムルーク朝(エジプト)を滅ぼしてこの地を支配。
マムルーク朝は13世紀からこの地を支配。その前は、1187年にエルサレムを奪回したアイユーブ朝(エジプト)。その前100年間ぐらいをキリスト教国のエルサレム王国(十字軍)が支配。
その前はセルジュク朝(トルコ)が支配。
その前はイスラム勢力が数百年支配。イスラム勢力は、この地に住む人々をアラブ化して行きます。イスラム教に改宗させて行ったのですが、アラビア語で書かれたクルアーンを学ばされたからこそ、この地の人々の言語はアラビア語になっていったのでしょうね。
改宗しなかったユダヤ教徒やキリスト教徒も居たのですが、アラビア語化して行く圧倒的多数の人々の中に有っては、ユダヤ教徒もキリスト教徒も周りに吸収され、アラビア語になっていったのだろうな、と。
見ていくと、この地を拠点にした国家はキリスト教国のイスラエル王国ぐらいのようです。その前にこの地を拠点にした国家となると、紀元前2世紀のユダヤ人国家ハスモン朝となってしまいます。このハスモン朝も、前1世紀にはローマ帝国に支配され、期限後まもなく属州となってしまいます。
7世紀のイスラム勢力侵攻後も、別な地を拠点とした勢力からの支配を受け続けたのであり、この地を拠点としたアラブ人とかイスラム教徒による独立国家って在ったんですかね。
この地の略歴を検索しましたが出て来ないので、無かったのかなあと。もしかしたら在ったのかもしれませんが……。
ディアスポラ後もこの地に残った人種的ユダヤ人は、圧倒的に多かったアラブ人に同化してしまい、言語や見てくれはアラブ人だったそうです。でも、信仰は変えなかったからユダヤ人のままだったのであり、そこへ、世界に散っていたユダヤ人が戻って来て盛り返した、とは言えます。
しかし、圧倒的多数だったアラブ人の時代が千何百年も続いて来たのですから、現在のイスラエルはパレスチナの余所者ともいえるのではないかと。
とは言っても、この地を拠点としたアラブ人の独立国家が在ったのかは不明。そんな地に細々とでも生き抜いて来たユダヤ人が、出戻りを受け入れて盛り返しただけとも言えなくもない………
ああ、ややこしい。