新兵衛の覚え書き

見た聞いた読んだ浮かんだ思い出した……を書き留めています。

佐藤浩市氏の発言にカチンときた理由

全文を読めば、揶揄ではない事がわかる……そう言ってる人達も居ますよね。それについての理由も述べていますが、有名人達の批判理由など関係無く憤っている人が居る事を、ついでの様に語っている様に感じるのです。

戦後の日本であり続けなければならないという様な台詞の出る人が、普段は政治の事など語っていないわけがないと思うのです。
体制側を演じるのが嫌だと言うぐらいですから、政権を批判する側で語るというのが定位置でしょうね。
舞台挨拶で体制側とか口に出る様な人が、安倍氏が難病で一度総理職を降りた事ぐらいは知ってるでしょう(降りたのはそれだけではないでしょうが)。
総理に返り咲いた時も、『下痢』をネタに嘲ったのは、匿名の一般人だけではない事を知らなかったんでしょうか。
国会の場に持参した物を飲んでいる理由も知ってるのですから、難病である事も知ってますよね。
難病である事のみ知らなかったんでしょうか。あのような政治的発言をする有名人が、それは知らなかったで済まされるほど甘くはないでしょう。

反体制であろうが、憲法9条擁護だろうが、反原発だろうが、辺野古米軍基地建設反対だろうがそれは自由だし、そんな人が総理役を演じようが構わないのです。
要は無神経だって事です。
反安倍の人達が、症状のひとつの下痢を使って安倍氏を嘲笑う事で弱いからダメだ、とやってた事ぐらい、国民はわかってるんです。
その行為に眉をひそめて来た人達が、体制側の役をやるのが嫌だの言う人が「吐く→下痢に設定を変えた」と聞いてどう思うでしょう。
「お前もか!」になるのは当たり前でしょうに。

反体制だの戦後を続けなければだの言える人が、今までの流れを知らないわけがないでしょうに。
ならば、『吐く』をわざわざ『下痢』に変えなくとも良いではないですか。
なぜ、現在難病で苦しんでいる人の姿にわざわざ変える必要があるんですか。
役作りどうのこうのは言い訳にしか聞こえません。

揶揄する為なら、同じ病気で苦しむ18万人以上の人が傷付いても正義だとばかりに許されるんですか。
本当に無神経だ。
だからカチンときたのです。