新兵衛の覚え書き

見た聞いた読んだ浮かんだ思い出した……を書き留めています。

パチンコ店のオーナーの9割が朝韓系の人だという話

そもそも、何故そんな状態になったのでしょう。

大東亜戦争時、パチンコは不要なものだとされて消えてしまいます。そんなもので遊んでる場合か!という事でしょうが、寺の吊り鐘さえ差し出さなければならないほど金属が不足していたのですから、パチンコの玉が生き残れるはずはないのです。

しかし、パチンコ台自体は破棄されないままになっていたものもあり、所謂中古のパチンコ台を集めて来て店を出す人もいました。
一気に人気が広まり、パチンコ店は四万軒以上になります。この時点での朝鮮系の比率は、人口比率からいえば高かったとはいえ、現在よりはかなり低かったそうです(何割ぐらいかは調べてないので分かりませんが)。

1950年代半ば、規制が厳しくなって廃業・転業する業者が大量に出、パチンコ店は8000軒台まで減ったといいます。主に、景品にまつわるヤクザの介入が甚だしくなった為の規制だった様です。
ところが、朝鮮系のオーナー達は苦しいながらも経営を止めずにとどまり続け、現在に至っているというわけ。

何故パチンコ業にとどまり続けたのか。人種差別があったから、という意見もあります。
当時朝鮮系の人が商売をする業種は、差別される為に限られてしまっていたんだとか。
ホルモン屋、生風俗、パチンコ…ぐらいしかなかったんだと。
戦後の日本における朝鮮系の暴れ方は、日本人が距離を置かなければならないほど凄かったからかもしれないという見方が抜け落ちているので、「差別が!」という意見には、全面的な賛同はできません。危ないから近づかない近づけないというのが差別として糾弾されるなら、傍若無人な者の天下になってしまいますので。

その後のパチンコ店が、ヤクザとどの様な関わりを続けたのかは知りませんが、朝鮮系の店は業界に踏みとどまって続いて行くわけです。
やがて、パチンコ台にフィーバー台という庶民の射幸心を大いに煽る台が現れ、パチンコ産業は急激に拡大して行きます。踏ん張り続けて来たパチンコ店の飛躍の時がやって来たのです。
8~9割が朝鮮系だったこの業界、比率は変わらないまま大きくなりました。続けて来たのですからノウハウがありますしね。
で、朝鮮系内での競争を制した業者が全国展開するに至る、と。

日本人経営のパチンコ店を、朝鮮系が手を組んで潰せるものは潰した、みたいな裏の動きでもあったんでしょうか。潰せないまでも、大きくなるのを邪魔したとか?
それとも、阻止せずとも新たに参入しようとする日本人があまりいなかった為、朝鮮系のパチンコ店が伸び伸びと広がって行けただけなんでしょうか。

私はパチンコにはほとんど興味がないので、パチンコ業界の歴史がどうなのかは知りません。
でも、一部が言うような「朝鮮人がー!」という極端な話には乗りません。差別があったからしがみつくしかなかったという話にも乗りません。
詳しい話があれば聞いてみようかな、という気はあまりありませんが、裏話があれば面白そうだから聞いてみるかな、とは思います。

ただ、収益が北朝鮮に流れて国民に使われている様子が無いのには憤りを感じます。