新兵衛の覚え書き

見た聞いた読んだ浮かんだ思い出した……を書き留めています。

室井佑月氏の、病院の責任者は…発言

永寿総合病院で、中国共産党コロナウイルスの感染により40人を超える死亡者を出した事への病院長の謝罪に対し、室井氏は医療従事者個々人に責任はないが、経営者の責任が……とツイッターで発言しました。
その発言を擁護する返信等を押し退ける様に、批判が殺到しました。

それに対して室井氏は、心からの謝罪かどうか分からない的にツイートし、更に最前線に医療従事者を送り込む側の責任云々を付け加えました。
案の定というか、擁護側に大東亜戦争における『特攻隊』の事を持ち出す者が現れ、現政権を含めた日本自体を貶める方向へ向かい始めた様です。

結局そっちかい!

室井氏が、医療現場に居る政治的な事には興味の無い人達にどれだけ話を聞いて回ったかは知りませんが、最前線に立つ人達は何が原因で感染が広がったのか、何が不十分だったのかは気付くものです。
そして、受け入れると決められた段階で、どこまでなら出来るしここからは無理という様な事はある程度予測がつくものです。
それでも見落としが出る可能性を否定出来ない事も、十分にわかっています。
それでも細心の注意をはらって立ち向かうのです。

この中国共産党コロナウイルスに立ち向かえない、そう思った人は現場から去るでしょうが、多くの人は立ち向かうのです。
立ち向かう人に、自分が感染しなきゃそれで良し、なんて人は居ないと思います(人間ですからそうではない人も居るかもしれませんが、居ないと言っても過言ではありません)。
受け入れるからには最大の努力をしよう、と行動します。
なので、「自分達は悪くない」とは言いません(経営側が「お前達が悪い」と責任逃れをするなら言うかもしれませんが)。
ああすれば良かったのではないか、こうすれば良かったのではないか、あれは良かった、これは不味かった、色々自分に問い掛けたりしながら立ち向かうのです。
なので、経営側がどうであろうと「どうしてあの時気付かなかったのだろう」という思いは心に強くのしかかって来るんです。
感染者が出れば、そのショックは大きく、ましてや死亡者が出れば更にショックは大きいのです。
経営側がどうのというのは別な話で、医療の行為そのものは医療機関一体で取り組みますから、個々人に責任は無く経営側が、などと切り離して消化できるほど医療現場は単純じゃないんです。