新兵衛の覚え書き

見た聞いた読んだ浮かんだ思い出した……を書き留めています。

欧州やシナの王朝と、日本の王朝の違い

日本も昔は、世界の皇帝と同じ様に、政治に参加していましたし決定権を持っていました。
しかし、千年以上から権限は臣下に移ったまま現在に至ります。

王が存在する国は今でも数十カ国在りますが、王と王族が中心となって政治を行う国は少ないです。
100年前は、王なり皇帝なりが国を動かしていた先進国があったのですから、日本は千年進んでいたと言えます。
日本以外の王朝は、力で奪い取って良いものでした。最高位=権力は力で奪い取っていましたので、権力者が倒されると王朝交代という事になります。
権力者の子とか弟とか兄とか、同じ血筋の者が権力者を倒してというなら、王朝交代とまでは言わないでしょうが、世界は王朝交代が当たり前でした。
ところが、日本は王朝交代が無いのです。

地層から言うなら、2050年以上前には今に続く日本が造られたのですが、王朝は交代していません。
交代の無いのはおかしいという前提で研究する人は、崇神天皇は別王朝とか継体天皇は別王朝とか言いますが、「え?なんで?」という反論も数出ている様です。
天孫降臨は後付だと思いますが、続いて来たものを断ち切って権力握ったら、俺も俺もとなるのは嫌だなあと考えたからかは分かりませんが、天皇の下で権力を握るという形が出来ていきます。
注目すべきなのは、天皇が権力者だった時代から既に、「しらす」と「うしはく」に分けていたという事です。

古事記は「知らす」、日本書紀は「治らす」と記していますが、読みはどちらも「しらす」。
大国主大神に建御雷神が問います、「誰の許しを得てうしはいているのか」と。
「うしはく」とは、領有するという意味で、大国主大神は国を建てて政治を行っていたのですから、「うしはく」には政治を行うという意味も含まれます。
葦原中国(あしはらのなかつくに)をうしはくには、国をしらしている者の許しがなければならない」という事です。
しらす者はうしはかないのです。つまり権力者ではない、という事になります。
天皇が権力者も兼ねていた時代に、古事記日本書紀が編纂されたという事に、私は注目しています。

天照大神が、降る孫の瓊瓊杵命に神勅を与えますが、「知らしなさい」であり、うしはけとは言っていません。
勿論、人間にお前を命を掛けて護らせろとも言っていません。
「祈れ」とも言っていないので、天皇が祭祀を行って来たのは、自らが祈りたくて祈る様になった、と思っても良いかも。
「知らしなさい」とは、お知りになりなさいという命令です。
国(民も)知れば知るほど祈られずにはいられなくなる、と解説する人がいますが、そうなんでしょうね、きっと。

葦原中国……日本は、知らす人から許しを得た人がうしはく国であり、国がまとまるまでは知らす人がうしはく事もしましたが、まとまればその後は臣下がうしはいて行く、という事になり、うしはく地位の争いはあれど、血筋の違う者が知らす地位を狙う事は無くなります。
蘇我氏とか、足利義満がその地位を狙っていたのでは、という説も有りますけど。

日本においては、知らす地位を続ける存在を王朝と呼び、知らす地位を持たない存在を王朝とは言いません。
これは、日本を対象とした場合だけですけどね。
現在は、権力とは関係のない王朝が幾つも存在しますから、国外の人々でも何となく理解出来るでしょうけど、???の人も結構いるんでしょうね。

引き継がれて来た天皇という地位は、ある意味カリスマな気がします、控えめなカリスマ。
日本民族として暮らして行く為の、重大な要素になっている天皇位と、それを支える皇室。
民族としての精神的な面を構成する、大きな柱になっていると思います。
柱であるがゆえに、天皇並びに皇室は、歴史と伝統に胡座をかいて、爛れた生活をするような事はないようです。
民間人男性との結婚問題で騒がれていますが、そこまで別れたくないなら仕方がない、で済む一般人とは違うのですから、マスコミが言う内容のような時代だの自由だの人権だの平等だので、同じ様に出来る存在ではないのです。
教育界やら学術界やらマスメディア界やら、影響力の強い勢力により、国や民族に誇りを持って生きるという他では当たり前の事が、日本ではグチャグチャにされつつあり、日本の精神的砦とも言うべき皇室が、こんな騒ぎになった事に複雑な思いがします。

他とは違う歴史を繋いで来た日本の王朝が、今回の件で揺らいだまま行くような事のないよう、切に願うものです。

天皇彌榮!