新兵衛の覚え書き

見た聞いた読んだ浮かんだ思い出した……を書き留めています。

支那は止めろ、中国と呼べ

文字にすると支那でした、昔は。口にする時はそのままシナと言っていました。
英語ではチャイナと呼びますが、2200年以上前に成立した秦王朝の呼び名が基になっていると言われます。
チャイナもシナも、その呼び名には歴史的根拠があり、最初から蔑む為に付けた呼び名ではありません。
一説によりますが、その昔日本人は自分の事を私とか俺とかは言わず、ワと言ったそうで(今でも津軽弁などはそうみたい)、ワという音と同じ音で倭(縮んだ)という字を当てて蔑むという事を行ったシナ王朝みたいな事はなく、仏典に書かれていた支那という呼び名を、新井白石が使ってから徐々に広まったとか。
蔑みを込められるとばかりに広まった、という資料は無いようなので、「へえ〜、シナって言うんだ、そうなんだ」という様な感覚で広まっていったのかもしれません。

漢族からすれば、支と那の字自体には、何かしらの意味はあるのでしょうが、良くも悪くもない字らしいです。
清王朝末期には、シナから留学生が大勢やって来ました。
彼らから観れば、日本というのは立派な文字の名で、支那という字はとても劣ると感じたそうです。
日本では、王朝名ではなく地域自体をシナと呼んでいた事を、留学生達は理解していたとは思います。
シン人ではなくシナ人と呼ばれる事に対し、ワ人と呼んでいたかは知りませんが、日本という字に対し、自分達の国にも立派な字の国名を望んでいた様です。
やがて清王朝は滅び、中華民国という名の国が出来ました。
とはいっても軍閥が幾つも跋扈していて、各国から観れば、シナの地を代表出来る様な政府がどこなのか判らない状態でしたが。

中華民国は略すと中国です。中国というのは、立派な名だそうです。
字自体良い意味なんでしょうけど、日本においては、シナから輸入した漢字といえども意味が変化してしまい、中国という名がたいそう立派な意味にはなりません。
日本では中国地方というのがありますが、九州と都の中間にある地という意味で使われます。
しかしシナでは、中華思想という「俺達最高!他は野蛮人だから俺達にひれ伏せ!」バリッバリの思想があるため、中国という名はスンバラシイ名なんです。
中華民国という名にし、「支那じゃなく中国にしろ」と要求して来たのでした。
日本の政府だか何処かの省庁が、今後中国とする様にと御達しを出したそうです。
マスメディアにも出した様ですが、だあ〜れも聞きやしません、役所も民間も。
文字は支那、口ではシナのまま変わりませんでした。
今でも、英語表記はチャイナです。清の時代からチャイナですから、日本ではシナで良いのです。
日本人は漢字を読めますから、『中国』をそのまま「チュウゴク」と読みます。
わざわざチャイナと読み替えるのは煩わしいですし。

『シナ人』が侮蔑の意味を持って一般人に使われる様になるのは、昭和ぐらいからかもしれません。ガンガン揉めるようになってからでしょうね。
しかし、シナ自体に対する感覚は、朝鮮に対する感覚とは違っていた様です。
日本人にとってシナの地は、日本を文明で先行していたという感覚は有った様で、明治からこちら、今度は日本が助けようという気持ちは有った様です。
興亜論なんてのも有ったぐらいですから、シナ人に対する感覚は、朝鮮人に対する感覚と違い、一緒にアジアを強く出来る人達が居るシナ……的な感覚が有ったのかもしれません。
しかし、仲が悪くなってしまい、シナ人この野郎!になってしまいました。
戦争になり、新聞が書きたてましたから、そうなってしまいました。
でも、当時を生きた日本人が沢山健在だった頃、シナに駐留していた兵隊だった人達でさえ、「シナ人」の話をする時と「朝鮮人」の話をする時の雰囲気は違っていました。
朝鮮人に対する雰囲気は見下すような感じでしたが、シナ人にはあまりそういう雰囲気は感じませんでした。ある意味「恐ろしい」とか「たくましい」みたいな感じでした。
見下す感じは無かった様に記憶しています。

『シナ人』より『中国人』の方が使い方は悪いのではないかと思ったりします。
敵だった時は「シナ人この野郎」であっても、時が過ぎればこの野郎の感覚は薄れてしまいます。
しかし、現在中共が日本に行っている事は日本の一般人には知らない人が多いため、中国人に対しては「何、この人達、嫌だ〜!」といった具合に、敵だからではなく行動そのもので嫌がる傾向があります。
これは、『中国人』を侮蔑の意味で使う様になる可能性があるという事です。

まあ、中国人と呼ばずシナ人と呼び続けて来ていたとしても、現在がこんななんですから『シナ人』が侮蔑の意味で使われる様になる可能性もある、とは言えます。
言える事は、特殊な時期に『シナ人』という呼び名は憎悪で使われた事がある、という事。
『中国人』という呼び名は、彼らの行動が原因で見下す感じで使われる様になるかもしれない、という事。

それは違うと言われるかもしれませんが、私個人の意見を書いてみました。